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NHK大河ドラマ【どうする家康】第47話コラム『乱世の亡霊』

NHK大河ドラマ『どうする家康』第47話コラム

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こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。

 

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こちらは毎週日曜日にお届けする【NHK大河ドラマ『どうする家康』コラム】の記事をお届けしています。


 

なるほど…!こう来ましたか。

 

乱世が産み出した恐るべき化け物。

 

これまてさんざん、「この物語のラスボスは茶々(淀殿)」と思わせておきながら、まさか、その魂を引き継いだ豊臣秀頼こそがラスボスとは!

 

「100年に渡る乱世が産み出した恐るべき生き物」

 

これは、徳川家康自身を含めた、武士たちのこと。

 

血生臭い乱世で生きるしか能のない、戦うために産まれた者たち。

 

応仁の乱以降、室町幕府の統制が効かなくなり、戦国の世となってから150年以上。

 

実は、この150年間は、日本史の中でも特異な時代です。

 

様々な争乱や合戦はあったにせよ、国の中枢はきちんと機能していました。

 

奈良時代

平安時代

鎌倉時代

室町時代

・戦国時代

・江戸時代

 

この時代区分は、国の中枢がどこに置かれていたか…で表されています。

 

奈良時代平城京の貴族たちが、鎌倉時代鎌倉幕府の武士たちが、それぞれ政治を行い、治安経済などを治めていたのです。

 

しかし…戦国時代だけは違います。

 

応仁の乱以降、本来は国の中枢をまとめるべき存在である幕府が機能しなくなり、世の中の武士たちが勝手に領国経営を始めるようになってしまったのです。

 

本来、室町幕府の統制下にあるべき武士たちが、勝手気儘に力を持ち、隣国に攻め込み領地を奪いあう戦の世の中。

 

中央政権が存在しない乱世であったからこそ、地名を冠しない「戦国時代」と呼ばれるのです。

 

この戦国時代に生きた武士たちは、戦でしか身を立てることを知りません。彼らは、戦をするためだけに生きてきた人々です。

 

実は、徳川家康よりも先に、この「戦人」たちをどうすべきかに頭を悩ませていた人物がいました。

 

それこそが、豊臣秀吉その人です。

 

秀吉は、朝鮮出兵という外国にその捌け口を見出だすことで、彼ら戦人たちの活躍の場を作ろうとしました。

 

しかし…その顛末は皆さんご存じの通り。泥沼の戦いを強いられた彼らと、日本に残っていた政治官僚たちの間で諍いが生じたことで豊臣政権崩壊のきっかけともなってしまいました。

 

そんな「戦人」たる彼らを、家康は「乱世が産み出した恐るべき生き物」と表現しました。彼らのような武士たちが生きている以上、乱世は終わらない。

 

家康は、この戦の世の中に終止符を打つことこそが、自らの最後の役目と心得ていたことでしょう。

 

大坂の陣は、徳川側が難癖を付けて豊臣家を滅亡に追いやった、汚い戦…というイメージが付けられています。

 

ですが?本当にそうでしょうか?

 

もしも、乱世の生き残り浪人たちが、豊臣家を拠り所にせずに生きる道を見つけられていたのならば…もしかしたら家康はそこで手を引いたかもしれません。

 

しかし…まさか、お飾りと見られていた秀頼その人までもが、戦で生きる化け物だったとは!

 

淀殿が産み育てた乱世の化け物は…見事にその魂を受け継いでいたようです。

 

そして…秀頼は戦国時代最後の大戦へ、同じ亡霊たちを引き連れて挑むことになるのです。

 

大坂の陣は、徳川VS豊臣の戦ではない。

 

この戦いは、徳川政府VS戦なしでは生きられない化け物たちとの…生き残りを懸けた最終決戦でもあるのです。

 

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