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NHK大河ドラマ【どうする家康】第43話コラム『関ヶ原の戦い』

NHK大河ドラマ『どうする家康』第43話コラム

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こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。

 

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こちらは毎週日曜日にお届けする【NHK大河ドラマ『どうする家康』コラム】の記事をお届けしています。


 

関ヶ原の戦い

いよいよ…徳川家康にとって生涯最大の戦いである関ヶ原の戦いが描かれました。

 

関ヶ原の戦いが行われたのは慶長5年、西暦でいうと1600年のことです。

 

実は、徳川家康の覇業を支えた歴戦の配下武将たちの中で、この関ヶ原の戦いに実際に参陣した人物はあまり多くありません。

 

徳川十六神将と呼ばれる重臣たちの中でも、関ヶ原の戦い本戦に参陣したのは以下の4名のみ。

のわずか4名。他にも、

…らが家康のそば近くに仕えていたに過ぎません。

 

一方、本来の徳川軍主力とされた徳川秀忠率いる中山道軍には…

など、榊原康政本多正信らを筆頭に、次世代を担う主力が配されていました。家康がいかにこの秀忠軍に賭けていたかを物語る陣容ですよね。

 

結局…真田の謀略に泳がされた秀忠率いる主力軍団は関ヶ原本戦に間に合わないという失態を犯します。

 

そのため、関ヶ原で行われた本戦には、徳川軍は非主力となる3万程度の軍勢しか手元にいませんでした。

 

それでも…!です。

 

さすがは百戦錬磨の徳川家康は器が違いました。

 

こちらが主力を欠いているのと同じく、敵方も豊臣秀頼毛利輝元らの主力は出てきていない。

 

この機を逃してはならぬ!と、大垣城に籠る石田三成らを無視して西進、関ヶ原へと軍を進めます。

 

この時点で、関ヶ原付近に陣を敷いているのは、松尾山の小早川秀秋とその麓に陣する大谷吉継のみ。家康は、大谷吉継を踏み潰し、そのまま三成の居城・佐和山城を抜き、一挙大坂へと兵を進める素振りを見せたのです。

 

それを見た三成率いる西軍主力は、大垣城を出て関ヶ原へと先回りをして陣を構築します。

 

慶長5年9月15日

 

こうして…東西に布陣した両軍によって、日本史上最大の合戦が行われるのです。

 

結局、関ヶ原の戦いはわずか1日で決着します。

 

こうして…徳川家康は反徳川派を一掃し、天下を取った!とされていますが…?本当にそうでしょうか?

 

この時点でも、家康の立場はあくまで「豊臣家の家老」に過ぎません。これから、豊臣秀頼を支えて政務を司っていかなければならない立場は変わらないのです。

 

しかし、歴史はこの時点で徳川家康が天下を取り、徳川幕府を創設した…ということにされていますし、教科書にもそう書いてあります。

 

そう!

 

関ヶ原の戦いで勝利した慶長5(1600)年から、征夷大将軍に任命される慶長8(1603)年までの3年間こそが…『政治家・徳川家康』の真骨頂を

発揮する時期なのです!

 

当時を生きていた武将たちも、何が起きたのか分からなかったでしょう。

 

彼らにとっては…「いつの間にか」徳川殿の天下になっていた。あくまでも「豊臣家の家老」として家康を支持したはずだったのに…!

 

まさに狐ならぬ…『狸につままれた』かのような3年間がスタートするのです。ここからが…必見ですよきっと!

 

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