『揚輝荘庭園』は松坂屋創業者が作り上げた見事な庭園!
名古屋市の東方、覚王山エリアに位置する日本庭園『揚輝荘庭園』。松坂屋の創業者が作り上げた絶景庭園です!
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こちらの記事は【初夏の京都~名古屋庭園巡り旅行記】よりシリーズでお届けしております。
『揚輝荘庭園』の歴史
『揚輝荘庭園』は、松坂屋の創業者・伊藤祐民が作り上げた大邸宅です。
江戸時代から続く「いとう呉服店」の十五代目を継いだ祐民は、名古屋で初めての百貨店を作ります。それが、現代まで続く全国でも指折りのデパート「松坂屋」なんです。
松坂屋を作り巨額の富を築いた彼は、名古屋市街地の東方にある丘陵地帯に別荘を建てました。それが『揚輝荘』です。
かつては1万坪にも及んだという広大な敷地を誇った大邸宅で、現在は母屋である「聴松閣」を中心とする南園と、日本庭園を中心とした北園に分けられています。
『揚輝荘庭園』の見どころ
名古屋市覚王山にある『揚輝荘』は、松坂屋の創業者・伊藤祐民が作り上げた広大な邸宅です。
かつての敷地は1万坪にもおよび、自然の地形の起伏を活かした山や池を含む広大な別荘でした。
現在、中央の丘陵部は高級マンションが建っており、母屋である「聴松閣」を中心とした南園と、日本庭園を有する北園に分けられています。
名古屋市営地下鉄東山線の覚王山駅から北へ歩くこと10分。『揚輝荘』の北園は、覚王山日泰寺の境内からすぐのところに位置しています。
丘陵地帯から少し低くなったそこには、かつての『揚輝荘』が有していた建築物と、美しい日本庭園が残されています。
『揚輝荘』北園に入って正面に見えるのが「伴華楼」と呼ばれる建物で、元々は尾張徳川家から譲り受けた茶室でしたが、昭和4年にこの地に移築されました。
この「伴華楼」は、元々の和室の平屋だったものに洋風の1階を増築したもの。1階と2階で大きく雰囲気が異なりますね。
『揚輝荘』の園内には稲荷神社も作られています。ここは「豊彦稲荷」というお社で、松坂屋京都店から勧請されたものです。
『揚輝荘』のシンボルになっているのが、庭園の池に架かる「白雲橋」です。この橋は、京都修学院離宮に架けられている千歳橋を模して作られたとされています。
「白雲橋」は大きな屋根の付いた廊下橋で、非常に存在感がありますね。
ここ「白雲橋」の天井には、この庭園を作り上げた伊藤祐民が自ら描いたという龍の絵が掲げられています。え。祐民さんこんなこともできるの?いやすごい迫力です。
『揚輝荘』の北園は池泉回遊式の庭園になっています。複雑な地形を活かした造りになっており、見る角度によって様々な表情を見せてくれます。木々が多いので、周りに建つマンションなども視界に入りにくいのもポイント高いですね!
池の片隅には、小さな茶室も残されています。ここは『揚輝荘』でも最も古いとされる「三賞亭」と呼ばれる茶室で、名古屋市街地にあった伊藤本家から移築されたものです。
池の周りを歩いていると…池に映る「覚王山日泰寺」の五重塔を発見!この辺りも、伊藤祐民氏の遊び心なのかもしれませんね。
あまり知られていない『揚輝荘』ですが、南園も北園も一見の価値ありのスポットです。ぜひ両方合わせてお立ち寄りください。
『揚輝荘庭園』へのアクセス/駐車場
松坂屋の創業者・伊藤祐民の作り上げた大邸宅『揚輝荘』は、名古屋市営地下鉄東山線の覚王山駅から徒歩10分ほどの場所に建てられています。
『揚輝荘』は母屋である「聴松閣」のある南園と、日本庭園のある「北園」に別れていますが、遊歩道を通って5分ほどで行き来できます。
お車の場合は、名古屋駅からおよそ20分。東名高速道路の名古屋ICから25分ほどです。専用の駐車場はありませんので、周辺のコインパーキングをご利用ください。
【初夏の京都~名古屋庭園巡り旅行記】三日目。覚王山日泰寺や揚輝荘など落ち着いた大人のスポットが集まる覚王山エリア。その片隅に隠れた名庭園があると聞き伺いました。次回はとある美術館の別館にあたる庭園を拝見しに行きます。お楽しみに!
『揚輝荘庭園』の基本情報
アクセス
東名高速道路 名古屋ICより15分
営業時間
9:30-16:30
定休日
毎週月曜日(※祝日の場合は翌日)
年末年始12/29-1/3
入場料金
無料
駐車場
なし
周辺コインパーキング利用
アドレス
052-759-4450