『豊国廟』は豊臣秀吉が眠る墓所!
「徳川家康のお墓」が、日光東照宮にあることをご存知の方は多いですよね?
それでは、「豊臣秀吉のお墓」がどこにあるかご存知でしょうか?
え?あれ?どこだ?大阪城のあたり?それとも生まれ故郷の名古屋とか?
実は豊臣秀吉は京都で亡くなり、京都郊外に埋葬されているんです!これ、あまり知られていませんよね。
京都市街地の東方に連なる東山。その一峰である「阿弥陀ヶ峰」には、かの英雄、豊臣秀吉の眠る墓所があります。今はひっそりとした森の中。かつて天下人として駆け抜けた秀吉は、今もこの地で眠っているのです。
筆者紹介
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こちらの記事は【初夏の京都~名古屋庭園巡り旅行記】よりシリーズでお届けしております。
『豊国廟』の歴史
1598年4月。一介の百姓身分からのしあがったとされる天下人・豊臣秀吉が伏見城内で亡くなりました。享年63。
秀吉の遺体は、生前からの遺言に従って京都東山の一峰「阿弥陀ヶ峰」の山頂に葬られることになりました。
翌年、時の後陽成天皇より正一位豊国大明神の神位を授かり、ここ阿弥陀ヶ峰一帯に壮大な社殿を設け、豊国社(後の豊国神社)が建てられました。
その後、正室の北政所や、後継者である息子・豊臣秀頼の命によって毎年4月と8月に盛大なお祭りが行われるなどしていましたが…1615年をもってこれらは廃止されます。この年…大坂の陣によって豊臣秀頼が自刃。豊臣家は滅亡してしまったからです。
その後、徳川家の天下になると、この地にあった豊国神社は完全に破却されてしまいます。それ以降は、参拝する人もめっきり減り、当地は荒れ果てたままになっていたといいます。
秀吉の正室・北政所のたっての願いにより、山頂の社殿こそ破却を免れたものの…その後の修復は一切許されず、朽ち果てるまま放置されたそうですから…やるせないものがあったことでしょうね。
明治時代になってから、秀吉の名誉は回復されます。それに伴って阿弥陀ヶ峰の麓には豊国神社が再建され、山頂には立派な五輪塔が作られました。現在見られる『豊国廟』の様子は全て、明治以降に整備されたものです。
山頂の廟所は、明治時代の改装時に発掘もされたようで、西の京都御所に向けて座った形で埋葬されていました。遺体はミイラ化がしていたようで、風化が進んでいたためにすぐにボロボロと崩壊してしまったそうです…。ですが、秀吉の遺骸が240年そのままの姿で残されていたことに驚きを隠せません。
『豊国廟』の見どころ
戦国の英雄・豊臣秀吉は、伏見城で亡くなったあと、東山の阿弥陀ヶ峰の山頂に葬られています。
『豊国廟』へのアクセスは、まずは東山七条からスタートします。ここからは終始上り坂のため、徒歩ですと往復60分以上かかります。予めご覚悟を。
坂道を歩いていると…5分かからないところにお社が見えてきます。あれ?こんなに近い…?と思ったら、やはりここは別の神社でした。とはいっても、この神社は後白河法皇によって作られた「新日吉神社(いまひえじんじゃ)」という由緒正しい神社です。
この「新日吉神社」は、かつて江戸時代には豊国廟への参道を塞ぐように社殿が置かれていたことから、江戸幕府による嫌がらせではないか?という説もあったようです。秀吉の幼名は「日吉丸」とも伝わっていますが…関係あるのかな?
さて「新日吉神社」にご挨拶してからさらに歩みを進めます。ここはもうひたすら上り坂!登山するつもりで歩きましょう。
歩を進めていると、やがて道の左右に大きな建物が並ぶエリアになります。実はこのあたりは、京都随一の名門女子大・京都女子大学のキャンパスが広がっており、周辺は附属の中高や小学校まであります。この日は平日の夕方だったため、多くの学生さん生徒さんたちが坂道を下っていました。毎日この坂道を上り下りするのは大変だろうなあ…。
京都女子大を通りすぎると、突き当たりに鳥居が見えてきます。ここが『豊国廟』の入口のようですね。車の場合は、ここまで一気に入ってくることも可能です。上り坂は大変なので…お車の方がおすすめですね。
鳥居下の石段を上ると、広々とした平坦地になっています。ここは「太閤坦(たいこうだいら)」と呼ばれる場所で、かつてはこの地に豊国社が建てられていたようです。春と夏のお祭りでは賑わったことでしょう。
参道の傍らには、社務所が置かれています。ここまでの参拝は無料ですが、この先、山頂部にある秀吉の墓地まで立ち入るには入山料100円が必要とのこと。ここで入山料を支払います。
外国人向けでしょうか?英語で描かれたお手製のマップも掲示されていますね。秀吉好きの外国人もいるんでしょうかね?あまり聞きませんが。
さて!いよいよここまで来ました!ここから先が今回の目的地『豊国廟』の中核です。見てください。この一直線に突き上げる地獄のような階段!かつては北政所(寧々)もここを登って参拝したそうですが…いやいや。これ厳しくない?
恐る恐る一歩を踏み出すと…いやこれ大変!あまり人が踏み入れていないためか、石段は苔むし、日も射さないために湿っていて滑る滑る!息を切らせながら一歩ずつ着時に階段を登っていきます。
階段を登りきると…一度平らな場所に出ます。おお!やっと頂上かー…と思いきや、ここはまだ中間点!?中門が作られており、ここからさらに階段が続きます。いや。キツい。
中門から170段ほど階段を登った先に現れるのが…立派な五輪塔!これぞ!かの豊臣秀吉のお墓でございます!トータル489段の階段を踏み越えて、ようやく対面できました!
ここで手を合わせます。この五輪塔の下には、まだ豊臣秀吉のご遺体が残されているはず…!一部風化したとはいえ、400年前の英雄がここで眠っている!半ば興奮しつつ、歴史上の偉人の冥福を祈りました。
ちなみに、山頂の北側は木が斬り倒されて展望が良くなっています。正面には清水寺を見下ろすロケーションです。清水寺の向こう側には、北政所が余生を送った高台寺がうっすらと見えています。
社務所を管理されている方のお話では、「寧々さんを見えるようにわざわざ北側の木を切った」とのことですが…。うん。きっと秀吉さんはすぐ目の前の女子大しか見てないと…思う(笑)
さて、下り坂は一気にこんな感じ!足を滑らせたら怪我じゃ済みませんね。一歩一歩慎重に石段を下りました。
『豊国廟』へのアクセス/駐車場
豊臣秀吉の墓所である『豊国廟』は、京都東大路通沿い、東山七条から山に登らねばなりません。東大路通、智積院近くには「豊国廟参道」と書かれた大きな石碑も建てられていますので、ここを目印としてください。
最寄り駅は京阪電車の七条駅ですが、駅から山頂の『豊国廟』まで歩くと30分以上かかりますのでご注意ください。タクシー推奨です。
京都市バスの場合は東山七条バス停から徒歩になります。ここからは山頂まではおよそ20分です。
京都女子大学行きのプリンセスラインバスも利用することができ、ここからですと『豊国廟』まで徒歩10分ほどです。
【初夏の京都~名古屋庭園巡り旅行記】二日目。この日の午後は京都東山のスポットを回っています。この後はお宿に戻り、京都の台所を散策しました!次回もお楽しみに!
『豊国廟』の基本情報
アクセス
京都市バス 東山七条より徒歩
京都駅より車で15分
営業時間
8:30-17:00
定休日
年中無休
参拝料金
100円
駐車場
有料駐車場あり
アドレス
075-561-3802