名産品のハムの名前を正式名称に付けた村がある!?
岐阜県のご当地グルメ「明宝(めいほう)ハム」をご存知でしょうか?
「明宝ハム」は、岐阜県内を中心に流通しているブランド加工肉で、ハムやソーセージなどを生産しています。かつては県外どころか郡上郡外で手に入れるのは至難のワザで、「幻のハム」とも呼ばれた逸品です。
筆者紹介
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『明宝ハム』の歴史
『明宝ハム』の始まりは昭和28年。岐阜県郡上郡奥明方(おくみょうがた)村で、画期的なハムが誕生しました。このハム、誕生当時は地名を取って「明方(みょうがた)ハム」という名称でした。
元々ハムの生産を主導したのは、奥明方村の農協です。「村の畜産振興と山間地の食生活改善のために動物性タンパク質を」というねらいで始められたもののようで、当時からユニークなアイデアとして各方面から注目を集めていたようです。
何せ、当時はまだ戦後の復興期。加工肉はおろか食肉も貴重だったころのことです。岐阜県の山に囲まれた小さな村でハム製造を行うなど、誰も思いもよらなかったことでしょう。
その後、しばらくは岐阜県の片田舎で作られたハムとして郡上郡の近辺でしか販売されてきませんでした。しかしある時、この商品がNHKの目に止まり、岐阜県のオリジナルハムとしてテレビにも取り上げられたことで状況は一変します。その結果「明方ハム」は明方村(昭和45年に改名)の特産品として大いに人気を博すことになるのです。
名実ともに明方村を代表する生産物となっていた「明方ハム」ですが…昭和61年、ある事件が起こります。
実は昭和48年に「明方ハム」の運営は明方村農協を吸収合併した、より広域な「郡上農協」によって事業が行われていたのです。
「明方ハム」の売上に目を付けた郡上農協は、その生産拠点をより販路が拡大できる郡上八幡町(現・郡上市中心部)へ工場移転を決定するのです。
これには、創業地の明方村が黙っていませんでした。過疎化が進行する明方村にとって、「明方ハム」はまさに生命線だったのです。
結局、「明方ハム」の基幹工場は郡上八幡へと移転します。しかし!明方村は新たに、村の宝となる食肉加工会社を設立するに至るのです。
この時作られたのが「明宝ハム」という新ブランド。まさに「明方の宝」として村の命運をかけた事業として再スタートしたのです。
新たな「明宝ハム」が誕生してから4年後、かつてブランドハムの故郷として栄えた明方村は姿を消します。
なぜか?
それは実は村の名前を変えたから!
…そう!この時、新たに付けられた村名こそが『明宝村』なのです!
まさか、ご当地の名産品とはいえ…ハムの名前を村名にしてしまうとは前代未聞のことでした。
そう!平成4年~平成16年までの間、岐阜県には「ハムの名前を冠した村」が存在していたのです!
しかし…過疎化を続ける時代の波には抗えませんでした。平成16年に、因縁ある郡上八幡を中核とした「郡上市」への合併に参加したことで、正式に「明宝村」は消滅します。
しかし、現在も明宝ハムを運営する「明宝特産物加工株式会社」の本社住所は「岐阜県郡上市明宝気良」!ちゃんと地名として「明宝」は残されているのです!
私企業の名称やブランド名を取って地名とする例は全国各地で見られていますが…自治体名にまでされたというのは、ここ岐阜県明宝村以外にはほとんど見られない非常に稀な例なんです。
これは、全国的にみても明宝村の他にもたったひとつしか例がありません。もうお分かりですよね。その唯一の例は「愛知県豊田市」。あのトヨタ自動車の本社工場を有する自治体です。
「明方村」→『明宝村』への改名には、村を二分する大騒動があったようですが…現在も残っていれば、世界のトヨタと肩を並べる「ハムの名前を冠した村」として、名を馳せたことでしょう。
『明宝ハム』は、現在も郡上市を代表する特産品となっています。まさに「旧明方村」の宝として…現在も当地の産業を支えています。