NHK大河ドラマ『どうする家康』第26話コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。
筆者紹介
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痛恨の築山事件の後…家康は信長の尖兵としてひたすらにその覇業を支えました。本心では信長への恨み心があったかもしれません。しかし…それを押し隠し、家康は信長との盟約に忠誠を尽くしました。
そして遂に迎えた1582年。この年は様々な運命が大きく動いた年です。
織田信長と徳川家康は、長年の宿敵である武田勝頼を滅するため進軍。織田本軍は美濃から木曽路に入り、徳川軍は遠江から駿河へと進攻します。
この頃の武田勝頼は、本国である甲斐を守備するので精一杯。信濃や駿河は敢えなく敵の手に落ちてしまいます。
そして1582年3月。
甲斐の本国まで攻め入られた武田勝頼は、家臣たちの裏切りにも逢い、遂に滅亡します。武田氏は鎌倉時代から続く源氏の名族でしたが…結局織田信長の勢いに抵抗することもできずに、その血脈を絶やすことになるのです。
こうして、長年の宿敵である武田氏を滅亡させた信長と家康。特に信長は、ほぼ天下も手中に治め、得意の絶頂にいたことでしょう。
武田討伐の凱旋として…富士山見物をしつつ悠々と安土への帰路に着いたのです。この時にもてなしの接待をしたのが徳川家康でした。
家康は、東海道沿いの名所を案内しつつ、様々な饗応を信長一行をもてなしたと言います。
しかし…この家康のへりくだった態度に、武骨で知られる三河武士たちはいきり立ちます。
『殿は腑抜けになられたか』
まさか、信長の前で海老すくいのふざけた舞いまで披露する体たらく。
しかし…信長も、家康の一変した態度に違和感を覚えていたようです。
『家康め、腹の底を見せなくなったわ』
どんな屈辱を受けても、どんな理不尽な物言いをされても、苛立ったり色を成すことなく、従順に従う家康の姿は、まるで後世の『狸親父』となる、そのきっかけを見るようでしたよね。
家康は、いきり立つ家臣団の前で、こう宣言します。
『信長を殺す』
『そして天下を取る』
そう…この1582年は6月に本能寺の変が起きる年!
もしかしたら今作は…本能寺の変を『家康黒幕説』として描くのかもしれません!
次回は、今度は信長が家康を安土へ招き饗応することになります。この饗応の数日後、家康が安土から京都、そして堺観光をしている時に起こるのが本能寺の変です。
『どうする家康』では、本能寺の変をどのように描くのか…次回以降も、目を離せませんね。
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