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【東京】絶滅したはずでは!?「隅田川の渡し船」はただひとつだけ残されている!?

隅田川にはたったひとつだけ渡し船が残されているってホント!?f:id:traveler-cipher:20230617070202j:image

かつて江戸/東京市民の足として活躍していた渡し船。東京のど真ん中を流れる隅田川では、既にその役割を終え、絶滅したもの…と思われています。しかし!実は令和の現在でも、たった1本だけ!隅田川渡し船が活躍している場所があるって…ご存じでしたか!?

 

筆者紹介

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こちらの記事は【歴史レポート】シリーズからの記事をお届けしています

 

 

かつて庶民の足として活躍した「隅田川渡し船」は絶滅した?

 

江戸東京のど真ん中を流れる隅田川。この川には、かつて多くの渡し船が運航しており、庶民の足として、親しまれていました。最盛期には20本近くの渡し船が存在してたというから驚きです。

 

1603年に徳川家康が江戸に幕府を開いてから420年。以来、江戸/東京は発展を続け、江戸時代中期には、世界一の人口を誇る大都市となりました。

 

徳川家康が生きていた時代は、まだ戦国時代の余韻が残る荒々しい時代。いつ敵兵が攻め寄せてくるか分からない戦乱の時代ということもあり、家康は江戸市中を流れる隅田川に橋を架けることは消極的でした。防御設備である天然の堀として、隅田川を活用していたのです。

 

しかし、江戸市中の人口が増えると、橋が架かっていない隅田川はかえって交通の妨げとなりました。

 

そのため、対岸との交通のために発展したのが…渡し船です。有名な「佃の渡し」や「御厩の渡し」など…最盛期には20本以上の渡し船が営業していたと言われています。

 

これら渡し船は、庶民の足として愛されていましたが…時代が下り、各地に橋が架けられるようになると次々とその姿を消していきました。関東大震災後の復興事業や、自動車道路、路面電車の走る橋など数多くの橋が架けられれば便利ですもんね。

 

そして…昭和41年「汐入の渡し」が廃止されたことを最後に、隅田川の風物詩として親しまれた渡し船はその姿を消したのです。最大20もあった隅田川渡し船が絶滅したのです。

 

いまや、昔を懐かしむノスタルジックな風景としてしか登場しない「隅田川渡し船」ですが…いや!ちょっとまった!

 

実はただ一本だけ!現役の「渡し船」が存在しているんです!

 

筆者が目撃した幻の渡し船

2023年3月。筆者は隅田川の河口から最上流部までを走る限定クルーズ「東京水辺ライン特別ゆらぶら便」という船に乗って旅を楽しんでいました。

 

この時のレポートはこちらからどうぞ。

 

場所は船旅も終点に近づいた隅田川の起点部近く。左岸は東京都足立区新田、右岸は東京都北区志茂のあたりを船は颯爽と走っていました。屋上デッキから風景を楽しんでいた筆者は…ある不思議な光景を目にします。

 

あれ?なんだあの階段?


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この写真ですと分かりにくいのですが…この写真の右手にあるコンクリート堤防から、1人の女性が川渕に降りてきたのです。

 

やがて手を振ったかと思うと…対岸に付けてあった一艘の船が走り寄っていきました。

 

は?なんだこれ?渡し船…?まさかな。


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こちらの乗るクルーズ船はスピードを保ったまま走り抜けてしまったのですが…明らかに船が人を乗せて川の対岸を行き来している!そんな馬鹿な!「隅田川渡し船」は絶滅したはずではなかったか!?

 

これぞ唯一残る「隅田川渡し船」!

自宅に帰ってから先程の謎の渡し船(?)を検索してみると…やはり!あの船は現役の渡し船ではありませんか!「隅田川渡し船」は絶滅してはいなかったのです!!


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よくよく調べてみるとこの渡し船は、日本化薬株式会社が運営している、社内用交通とのこと!北区志茂の「日本化薬工場」と対岸足立区新田の「日本化薬東京工場」という同グループの社員が行き来する専用航路のようです!

 

地図を見ていただけば分かるように、この辺りは周辺に橋がありません。そのため徒歩で対岸の工場へ行こうとすると、30~45分もかかって迂回する必要があるんです。が…!渡し船ならなんと5分かからず行き来できるようです。

 

まさか隅田川渡し船が残っているとは!これ…乗り場とかどうなっているんだろう?一般人でも乗れるのかな?

 

これは…改めて現地調査に行かなくては!

 

ここが秘密の渡船場

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と、いうことで後日…秘密の渡船場がどうなっているかを調査しに、隅田川の右岸と左岸を歩いて参りました。

 

まずは右岸(北区志茂側)へ。

 

場所は、東京メトロ南北線志茂駅から東へ15分ほど歩いたところにあります。この辺りの隅田川は、両側にカミソリ堤防が設置されているため川面を見ることはできません。なお、この辺りはちゃんと公道なので見学することが可能です。

 

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川沿い…というか塀沿いに歩いて行くと…なにやら厳重に閉じられた階段が出現しました。まさか…これか!?


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まさにビンゴ!これが幻の渡し船の乗り場のようです。階段には鍵付きの扉が設置され、デカデカと「立入禁止」の標識が。この塀の向こう側が…先日筆者が目撃した渡船場のようです。


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階段の周囲を見渡すと…ちゃんと「渡船運行表」が掲げられているではないですか!

 

船頭さんの勤務形態によって変動があるようですが…始発は朝7:00~、日中は随時お客さんが来たら動くようで、最終便は20:00。一人勤務日や土曜日は最終便も早く終わるようですね。なお、お昼休みや夕方休みも確保されているようで、運行しない時間帯もあるようです。


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乗り場には「乗船心得」の注意書きも。

  1. 乗船定員を守る事。
  2. 乗下船は船が完全に接台した状態で行い、必ず乗下船口を利用する事。
  3. 船内では両側ベンチに腰を掛け、船べりに腰掛けたり立ったりしない事。またベンチに腰掛けられない時もできるだけ身を低くする様につとめる事。
  4. 台船の揺れる時には必ず手すりにつかまっている事。
  5. その他操船者の指示があったら必ずそれに従う事。

 

残念ながらこの渡し船、一般人は利用できません。理由は対岸にあります。

 

足立区側は工場敷地内!

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さて、ぐるっと回って隅田川の対岸にある足立区新田へとやって来ました。この辺りは住宅街に工場が点在する、とても静かな環境です。


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足立区新田側は隅田川沿いの遊歩道が作られていません。その住宅街の一画に作られているのが「日本化薬東京」の工場敷地です。隅田川ギリギリまで同社の工場敷地になっており、渡船場も同社の工場敷地内!なるほど。船を降りても工場敷地にしか行けないので、そりゃ一般人利用できませんわ。


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壁越しに見えた足立区側の渡船場へ向かう階段がこちら!この階段を登って隅田川まで降りて、北区側と行き来しているようですね!

 

まとめ

残念ながら一般の方は利用することができませんが、確かに現存していた『隅田川渡し船』!今回、運良く実際の運航している姿を目撃したことで、新たな東京を知るきっかけとなりました!

 

かつて20本以上の航路があった隅田川渡し船。現在に唯一残る現役の渡し船は、今日も製薬工場の社員さんたちを運ぶ、重要な足として活躍しているようです!