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【歴史コラム】人類にとって「農耕」は悪魔の実!?

長い人類の歴史上、最大の天敵とはなにか?

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我々人類にとって最大の天敵とはなんでしょうか?

 

猛獣?病気?毒虫?

 

人類はこれまでの長い歴史のなかで、様々な困難に直面してきました。しかし、その都度、自然と折り合いをつけてどうにか繁栄の元を築いてきたのです。

 

猛獣や病気なども、長い歴史の中で数多くの人間を殺してきたことでしょう。

 

しかし、それらよりももっと人類を苦しめてきたものがあります。それが…食糧危機による死。つまり『飢餓』そして『餓死』です。

 

筆者紹介

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こちらの記事は【歴史コラム】シリーズからお届けしています。

 


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現代に生きる我々は、よほどのことがない限り『餓え』を実感することはなくなりました。

 

しかし、現在のように餓えを知らない生活になったのは、長い長い人類の歴史の中でもごくごく最近のことなんです。

 

現人類(ホモサピエンス)が誕生してからおよそ500万年、これまで人類は常に『飢餓』との戦いを続けてきました。現代のように先進国で餓えを感じることのない世の中になったのは、わずかここ100年足らずのごく短い期間のみ。つい最近まで、世界中いたるところで飢餓との激しい戦いが行われていたのです。

 

現代日本に生きているとあまり意識しませんが…先進国と呼ばれる国以外では、現在もその『飢餓』との戦いは継続中です。

 

飢餓との戦いの転換点

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我々人類は、そんな恐ろしい人類最大の天敵『飢餓』と戦うために、ありとあらゆる手段を用いました。

 

飢餓を克服するためには…充分な食料を確保しなければなりません。しかし、そのために、抜本的な社会転換が必要でした。

 

日本人にとって歴史上最大の転換点は「農耕の獲得」でしょう。特に「稲作」は、日本人の食生活だけでなく、社会構造までも大きく様変わりさせました。

 

当時の最新技術である稲作文化を持って大陸からやって来た弥生人たち。それまで、日本列島で生活していた縄文人たちは、狩猟や採集を主軸としていた社会でした。

 

縄文人たちは、この日本列島に広がる豊かな山と森そして川や海の恵みを受けて慎ましく生活をしていました。

 

彼らにとって、その恵みの源である山や森は生命の源泉です。

 

しかし…大陸からやって来た弥生人たちは、その聖なる山や森を切り開き…見たこともない生活を始めます。それが「稲作」を主軸とした「農耕生活」でした。

 

農耕…特に稲作を行うにはその山や森を切り開き川の流れまでもを変えねばなりません。

 

縄文人の視点から見れば…農耕社会を営む弥生人たちは、その生活の源である聖地を壊す悪魔のように映ったかもしれません。当然縄文人たちとってに受け入れられる存在ではありませんでした。

 

農耕社会は、狩猟社会と大きく異なる…があります。それは、米をはじめとした食糧を保存できるということ。食糧を保存できるということは、それだけ多くの人口を養うことが可能になります。つまり、弥生時代への突入とは、それまでとは比較にならないほど、人口が爆発的に増加した時代とも言えるのです。

 

そんな農耕社会の生み出す人口(=マンパワー)に、狩猟社会の民は抵抗できませんでした。そりゃそうです。森や山での狩猟生活は、人口を爆発的に増やすほどの恵みはもたらしません。

 

こうしてやがて、彼ら狩猟を生業としていた民族(縄文人)は北へ北へと追いやられてしまいました。彼らはやがて、まつろわぬ民『蝦夷』と呼ばれ迫害を受ける対象になります。

 

農耕社会がもたらした悪夢の時代

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とはいえ、農耕社会の側にも争いの火種は育っていました。

 

農耕社会は、狩猟社会とは異なり、大量の食糧を保存することができます。それはイコール「財産」の誕生でした。彼らにとって財産とは、汗水垂らして切り開いた「土地」と収穫した「米」です。

 

狩猟社会では、山や森が実りを失えば、人類の側が移動し、次の山、次の森へと移動しつつ生活を続けることができました。

 

しかし、農耕を覚えた人類は…切り開いた土地を守る必要があります。なにせ、土地は動かすことができません。こうして、日本人は食糧と富を生み出す「土地」に執着するようになったのです。

 

また、実りの多い土地を持つムラと、実りの少ない土地しか持たないムラの間では貧富の差が生じました。稲作によって多大な人口を養うことができるようになった人類は…やがてムラ同士で争いをはじめます。

 

『飢餓』に苦しんでいた人類は、「農耕」を覚えたことで飢餓からの脱却することができました。この農耕は「定住」を伴います。このように「飢餓」→「農耕」→「定住」と進んだ人類は…次なる悪夢のステージへと進むことになります。

 

農耕社会はヒト同士が争う時代を招いた!

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お察しの方も多いかもしれません。「定住」をはじめた人類の次のステージ…それは「戦争」の時代です。人間同士で富(土地と食料)を巡って争い殺し合う時代ですね。

 

縄文遺跡で有名な青森県三内丸山遺跡には、濠や城壁といった防御施設は作られていません。一方、弥生遺跡の代表格でもある佐賀県吉野ヶ里遺跡は、深い濠をめぐらせた環濠集落です。縄文遺跡にはなく、弥生遺跡にのみ存在する防御設備。そこには、争いの気配を濃厚に感じることができます。

 

また例えば、獲物を射るために作られた弓矢。本来これは、獣を狩る狩猟道具に過ぎません。しかし…戦争の時代に突入した人類は、この狩猟道具をヒトに用いる武器として転用するようになります。

 

現代の世界では、かつて栄えた狩猟民族はごくわずかになっています。現代社会を構成している人類のほとんどは、農耕社会の後継者たちです。

 

彼らは、農耕という「悪魔の実」を食べたことで飢餓を忘れ繁栄を享受することができました。しかし…その「農耕」は、人間同士の争い…つまり「戦争」という新たな厄介事の引き金にもなってしまったのです。

 

農耕生活を覚えた人類は、その最大の敵でもある『飢餓』を乗り越えた代わりに「戦争」の時代へと進んでしまいました。そう。現代人である我々も、ヒト同士が争い合う戦争の時代に生き続けています。

 

悲しいことに…ヒトという生物ほど、同種族間で殺し合っている生物は他に存在しません。