NHK大河ドラマ『どうする家康』第22話コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。
筆者紹介
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ついに切って落とされた織田・徳川連合軍VS武田の大会戦「設楽原の戦い」!
かつては「長篠の戦い」と呼ばれていましたが、近年は決戦場となった設楽原を充てて「設楽ヶ原の戦い」と呼ぶことが多くなっているようですね。なお設楽原は、長篠城から西に3kmほど離れた小盆地です。
筆者は数年前にここ「設楽原古戦場」を訪れたことがあります。実際に現地に足を運んで分かったことですが…その平地の狭さに驚かされます。
盆地の中央には小川が流れ、東西それぞれにはすぐ山が迫ります。武田が誇る騎馬武者たちを迎え撃つ、織田・徳川軍の馬防柵と3000丁の火縄銃という図式ですが…武田軍が突撃してきたら、あっという間に陣まで迫れてしまうほどの広さしかないのです。
武田勝頼にしてみれば、目と鼻の先に信長と家康の大将首がある。結果的には大敗しましたが、勝頼が「この機を逃す手はない!」と判断するのもよく分かる立地です。
戦国時代最強をうたわれた武田軍団はここ設楽原で壊滅し、その力は大きく削がれてしまいましたが、まだまだ甲斐信濃駿河などを領有する大国です。現にこの後も、武田家はすぐ滅亡することなく、7年以上も勢力を保ち続けます。破れたとはいえ…武田はまだまだ健在。決して侮れる存在ではありませんでした。
さて、設楽原の戦いで大勝した織田信長と徳川家康ですが…なんと驚き。徳川家康は織田信長に臣従し、家臣団に組み込まれてしまいました。なかなか斬新な設定ストーリーですね。
そして…忍び寄る悪夢。
戦の興奮に当てられ、精神に支障をきたしつつある家康の嫡男・信康。さらにその信康を気遣う瀬名姫。やがてこの二人を襲う運命を思うと…暗い気持ちにならざるを得ません。次回のタイトルが「瀬名覚醒」であるのも…何かの示唆でしょうか。
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