NHK大河ドラマ『どうする家康』第20話コラム
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武田信玄の死により一時弱まった武田からの圧迫。しかし、信玄の死から3年を経て、跡を継いだ武田勝頼は再び遠江三河の徳川領への侵攻を開始しました。
ちなみに
徳川家康は1543年生まれ
武田勝頼は1546年生まれ
実はほぼ同年代なんですね。
もしかしたら信玄も、息子・勝頼のライバルになり得る家康を意識していたのかもしれません。
さて今回は、武田から伸びた調略が大きな事件へと発展しました。
家康の長子・信康が主将を務める三河岡崎城。武田勢との先頭の最中、武田の手に堕ちた大岡弥四郎の裏切りによって、岡崎城はピンチに陥ります。
当時の趨勢は、はるかに武田が優勢。武田からの誘いに乗り徳川を裏切る人物も多かったことでしょう。
結局、大岡らの首謀したクーデターは未然に防がれます。しかし…一部家臣が武田に内通していたという事実は、やがてさらに大きな悲劇へと発展する伏線になっています。歴史を知っている方にはもう察しが付いているとは思いますが…家康の人生最大の悲劇が間も無く訪れることになります。
さて、今回のクーデターの首謀者は大岡弥四郎と言います。実は彼には従兄弟がおり、その従兄弟は今回のクーデターにはどうやら参加しなかったようですね。この従兄弟の子孫が、江戸中期の名奉行として知られた「大岡忠相」、通称大岡越前です。こういったところ、歴史の繋がりを感じますね。
またもう一人、今回の話で注目の人物が徳川家臣団に加わりました。彼の名は井伊万千代、長じて井伊直政と名乗る人物です。
井伊家は、遠江西部を領する鎌倉依頼の名族です。今川義元が勢力を拡大するに当たってその配下となりましたが、やがて今川家中でも没落。この頃は領地を持たない流浪人として困窮生活を送っていたようです。
彼は徳川家臣団に組み込まれるとめきめきと頭角を現し…
と譜代の名将らと並べられ『徳川四天王』とも称されるようになります。やがて、江戸時代に入ると、譜代大名で最大の領地を与えられる譜代筆頭ともなるのです。
幕末の大老として辣腕を振るった「井伊直弼」は彼の子孫に当たります。
井伊の率いる軍勢は「赤備え」として知られ、全身を真っ赤に染めた具足で統一していたと言われています。これは、またもう少し後のお話ですね。
あ。そういえば…先ほど挙げた『徳川四天王』に、現在物語中で大きな役割を果たしている家老、・石川数正の名前がありませんよね。
その答えも…もう少ししたら判明することでしょう。
さて、次回は織田徳川と武田の運命の一戦「長篠の戦い」が描かれそうです。家康の長女である亀姫も脚光が浴びることでしょう。
次回、長篠の戦いをどう描くのか?楽しみですね!
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