幕末の偉人!佐久間象山を祀る『象山神社』へ参拝!
信州松代が誇る幕末の偉人・佐久間象山。あの勝海舟や吉田松陰も師と仰いだ英傑を祀る神社がここ『象山神社』です。
筆者紹介
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こちらの記事は【冬の信州温泉旅行記】よりお届けしています。
佐久間象山とは何者?
佐久間象山という人物をご存知ですか?歴史の教科書や歴史ドラマでも度々登場する、信州きっての幕末の偉人なのですが…。
象山が活躍したのはペリー来航の前後。その後に尊皇攘夷派の志士に暗殺されてしまいます。つまり、戊辰戦争や明治新政府に参加する前に歴史から退場してしまったために…何をした人物なのか、あまり一般的に知られていないという残念な存在になってしまっています。
しかしこの佐久間象山…その門下生(弟子)たちの顔ぶれがスゴい!
彼らは、佐久間象山が江戸に開いた塾で学んだ俊英たち。まさに当代筆頭の志士たちの師匠ともいえる人物が…佐久間象山なのです。
実際に幕末に活躍した志士たちの多くが…佐久間象山の直弟子や、孫弟子であったりします。彼の思想や知識は、彼の死後に活躍する志士たちに多大な影響を与えているのです!
佐久間象山、信州松代藩真田家に仕える下級武士武士の家に生まれました。
生来自信家かつ勤勉家であった彼は、江戸にて朱子学、やがて西洋学(蘭学)を学びます。さらにそれらには飽きたらず、砲術学を学んで自ら大砲を鋳造するなどをします。30歳を越えたころには、砲術家、兵学家として全国的な名声を轟かすに至るのです。薩摩藩などは、藩ぐるみで西洋式大砲の鋳造に取り組みましたが、佐久間象山のスゴいところは、これをほぼ単独で成し遂げてしまったところ!
やがて、藩主・真田幸貫が老中となり江戸に出てからは、象山は幕閣の要人とも意見を交わすようになります。実際、ペリー率いるアメリカとの外交交渉の中で、アメリカと交易を行う開港場に、当時寒村に過ぎなかった「横浜」を推すなど卓見を世に知らしめます。この推挙がなければ、「横浜」に脚光が当たることもなかったかもしれません。ある意味「横浜の父」とも呼べそうですね。
その後、江戸に私塾を作ってからは、勝海舟、吉田松陰、河井継之助、坂本龍馬など、やがて日本を動かす俊英たちを指導します。佐久間象山は、明治維新をもたらす志士たちを育成した、志士たちの父とも呼べる存在でもありました。
そんな佐久間象山の運命が急転したのは1854年のことでした。前回の来訪から1年後、再び浦賀へ現れたペリー艦隊に密航を企てたのが、弟子でもある吉田松陰でした。象山は、この事件に連座して罪を問われてしまいます。これを受けて松代藩は象山を江戸から松代へ召還。1862年までのおよそ8年間を、松代で蟄居生活を送ります。
1864年、ようやく謹慎を解かれた象山は、一橋慶喜に招かれ京都へと上洛し、慶喜へ公武合体論、開国論を説くなどしていました。しかし当時の京都は、尊皇攘夷思想の過激派が潜む危険地帯。「西洋かぶれ」と目されていた佐久間象山は、熊本出身の人斬り・河上彦斎(るろうに剣心主人公のモデル)によって惨殺されてしまうのです!
吉田松陰をはじめ、数多くの維新の志士たちを育成しながら、新しい世を見ることなくその生涯を終えた佐久間象山。もしも明治時代まで生きていれば…新政府内でも要職を務めていたかもしれませんね。
そんな幕末の志士たちの師匠、佐久間象山を祀ったのがここ『象山神社』です。
ちなみに信州では、県歌「信濃の国」で~象山佐久間先生も~♪と歌詞で、郷土を代表する偉人として歌われていることから、抜群の知名度を誇っています。
『象山神社』の見どころ
『象山神社』は松代の中心に位置する松代城跡から南方10分ほどのところに鎮座しています。周辺は武家屋敷が並ぶエリアで、とても雰囲気の良い通りになっています。ぜひ歩いて散策なすることをおすすめします。
鳥居の前には、佐久間象山の騎馬像が置かれていますが、これがまた格好良い!凛々しく馬にまたがる姿が躍動感たっぷりに表現されていますね。
なお、ここ『象山神社』の境内は、かつて佐久間象山が産まれ暮らした場所です。当時とは様相は変わったでしょうが…信州松代のこんな雰囲気の中で生きたんですね。
さて、鳥居をくぐり境内へお邪魔します。本殿は参道をまっすぐ歩いた正面にありますが、まずは参道の左手に置かれている銅像にお立ち寄りください。こちらは2018年に神社創建80周年を記念して作られたもので、佐久間象山とその主君・真田幸貫を中心に、その周辺を象山が才能を見出した門下生たち(勝海舟、小林虎三郎、吉田松陰、橋本佐内、坂本龍馬)の胸像がぐるりと囲んでいます。また、その脇には松代蟄居中に象山の知見を得ようと訪問した人物たち(高杉晋作、日下玄瑞、中岡慎太郎)のレリーフも添えられています。
まさに日本を動かした維新の志士たちの顔ぶれ。これを見ても…象山は「幕末の先覚者」であり「日本の未来を創った」とも言われるのも納得ですね。
本殿は境内の最奥にいります。この日はお正月期間であったため、紅白幕で飾り付けさてれいました。華美すぎる装飾もなく…学問と思想に生きた「佐久間象山」を祀るにふさわしい様相ですね。
『象山神社』の境内には「高義亭」と名付けられた建物が保存されています。ここは、元々藩家老屋敷の別棟でしたが、佐久間象山が吉田松陰密航事件の後、国許で蟄居していた際に使っていた書斎でもあります。
吉田松陰の死後、その弟子のひとりである高杉晋作はこの地を訪れ、佐久間象山とこの国の行く末を談義しました。その際に用いられたのもここ「高義亭」の一間!ここで佐久間象山と高杉晋作が対談した…と考えると痺れるものがありますね!
『象山神社』へのアクセス/駐車場
『象山神社』は、古い武家屋敷が残る長野市松代の中心地近くに鎮座しています。
松代へは鉄道が走っていないため、公共交通機関利用の場合は、JR長野駅から路線バスでのアクセスになります。松代の中心地「松代城跡」からは徒歩10分圏内のところに位置しています。
お車の場合は、上信越自動車道の松代SA直結、松代スマートICからおよそ5分ほどでアクセスできます。『象山神社』の鳥居すぐのところに参拝者用駐車場がありますのでそちらをご利用下さい。
まとめ
吉田松陰や勝海舟の師匠でもある幕末の偉人・佐久間象山。彼は、明治維新前に亡くなってしまったため、その他維新の志士たちに比べると知名度が低い存在になってしまっています。しかし、新しい時代を創った志士たちの多くは彼の門下生!新たな時代のリーダーたちを見出だし育てた先覚者なのです!松代へお越しの際は、ぜひここ『象山神社』へも足をお運びください。
幕末の偉人・佐久間象山を祀る『象山神社』を参拝した後は、松代の象徴でもある「松代城跡」へと向かいました。【冬の信州温泉旅行記】、次回もお楽しみに!
『象山神社』の基本情報
アクセス
JR長野駅より路線バス
参拝時間
24時間参拝自由
定休日
年中無休
参拝料金
無料
駐車場
参拝者用無料駐車場あり
アドレス
026-278-2461