ごちゃまぜ!『中部地方』は…関東と関西の間の寄せ集めってホント!?
突然ですが『中部地方』ってどこからどこまでかご存じですか?
読者さんの中には、小学校時代に社会科の授業で習った、日本の地方区分をご記憶されている方も多いでしょう。
・北海道地方
・東北地方
・関東地方
・中部地方
・近畿地方
・中国地方
・四国地方
・九州地方
・沖縄地方
この地方区分ですが、日常でも使用することが多いため、大体ざっくりとは皆さん覚えていらっしゃいますよね。
しかし…どこからどこまでが「〇〇地方」なのかを思い浮かべながら、これら地方区分をもう一度よく見てみてください。
北海道地方はもちろん北海道だけです。九州と沖縄、四国も離島部分だけなので分かりやすい。東北地方と言えば青森県から福島県までの6県で異論ないし。関東地方も同じく1都6県。中部地方は…えっと?あれ?
ほら。ここでモヤモヤっと曖昧な感じになりますよね?
中国地方は兵庫県より西側の5県ですし、近畿地方の三重県だけ若干モヤっとしていますが、それ以外の「〇〇地方」はある程度「どこからどこまで」が分かりやすいですよね。※実は三重県がモヤっとするのも、今回の話に関連があります。
あれ…?言われてみたら『中部地方』って…なんだ?
筆者紹介
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中部地方って…いったいなんだ?
そう。先ほど述べた通り、『中部地方』は、日本の中央部にあり国土の中核を成す重要なエリアにも関わらず、他の「〇〇地方」に比べて実態が曖昧な存在なのです。
愛知県民の皆さんは『中部地方の民』という自覚ありますか?
新潟県民の皆さんは『中部地方』の一員として連帯感ありますか?
例えば、春と夏に行われる甲子園野球大会。「東北勢」「関東勢」「四国勢」「九州勢」など、自分のお住まいや出身の地域の学校が活躍すると…なぜか応援したくなるあの感じ。「◯◯地方」への連帯感や一体感というものが…『中部地方』には残念ながらほとんど感じないのです。
『地方区分』は法律で決まっていない!?
そもそも、この9つに分けられる地方区分、社会科の教科書には載っていますが、法律上の明確な定義は存在しません!官庁の管轄なども組織によってその定義がてんでバラバラなんです。
・新潟県
・富山県
・石川県
・福井県
・山梨県
・長野県
・岐阜県
・静岡県
・愛知県
これら9つの県によって構成される地方としています。
この『中部地方』という言葉、実はそのルーツから曖昧だったようです。
明治維新後、新政府は何次かにわたる廃藩置県を繰り返し、明治も半ば過ぎると現在と概ね同じ47府県制が定着します。この頃、国内を地域ごとに管轄するために用いられたのが「〇〇地方」という言葉でした。
当時から、東北諸県は「奥羽」として強い一体感がありました。また同じように関東諸県も「関八州」の一員として一体感がありましたし、近畿の諸府県も京都大阪を中心とした統一文化圏を形成していました。
当時の役人も困ったのでしょう。この時、東北・関東と近畿に挟まれた地域を、東北でもない、関東でもない、近畿でもないということで暫定的に用いたのが『中部地方』という仮の呼称だったのです。
古来の地方区分では北陸道、東山道、東海道
日本は古来から地方区分を道に沿って区分けしていました。「五畿七道」と呼ばれるものがそれです。
その機内から七つの道を伸ばし、今で言う「地方」としてまとめました。
・滋賀から岐阜長野、北関東を経て青森へ至る道を「東山道」
・和歌山から四国へ向かう道を「南海道」
・兵庫南部から瀬戸内海沿いに山口まで至る道を「山陽道」
・兵庫北部から鳥取島根を経て日本海沿いに山口へのびる道を「山陰道」
・九州を南北に貫く道を「南海道」
として…各々まとめ、各地域を管轄していました。
現代の地方区分は?
現代では『中部地方』としてひっくるめられてしまった9つの県ですが、本来は日本古来の「道」区分では三つに分けられます。
お。もしかしたらお気づきの方も多いかもしれませんね!『中部地方』と似たようなエリアをさす言葉がありますよね!
そう!それが「東海地方」や「北陸地方」という言葉です。時々ニュースや天気予報でも使われますよね?
そう。歴史的に考えれば、本来『中部地方』など実体のない曖昧な地方区分は必要ないのです。初めから「北陸地方」「東山地方」「東海地方」と区分してしまえば良かったのです。
これは恐らく、当時のお役人さんが、全国他の「◯◯地方」とのバランスを測った結果だったのでしょう。北陸地方は4県なのでまだしも、東海地方を作るとわずか3県しか組み込めませんし、東山地方はわずか2県だけ。ならばいっそのこと丸ごとひっくるめてしまえ!ということで作られたのが『中部地方』という概念だったと思われます。
さらに、山がちな「東山地方」に主要都市が存在しないという点も、3分割しにくかったポイントかと思います。
東海地方には名古屋市という大都市が存在していますし、北陸地方にも金沢市や新潟市といった地方の中核になるべき都市が存在します。
しかし東山地方となる岐阜県、長野県には…生憎中核となる都市が見当たりません。
結局のところ、北陸、東山、東海の3分割では地方区分としては小さなすぎる。それならば、多少大きすぎても『中部地方』とまとめてしまう方が他とのバランスが良い!ということで無理矢理にまとめられてしまったのが『中部地方』なのです。一体感もなければ連帯感もないのが当たり前でしょう。
非常に悪い言い方になってしまいますが…結局のところ『中部地方』とは、関東でも関西でもない「その間にある寄せ集め」として生まれた言葉としか言いようがありません。
『中部地方』を作ったのは文部省?
そもそも『中部地方』という言葉は教育現場から産み出された言葉です。
『新撰小学地理』の編者・喜田貞吉は、1900年に『日本中地理』で従来の畿道区分(五畿七道)にかえて北海道、奥羽、関東、中部、近畿、中国、四国、九州の8区分を用いた。その理由として1904年に小学校高等科用国定教科書小学地理の編纂(へんさん)趣意書において「関東及び奥羽と近畿の中間の地方は別に適当なる名称なきが故にしばらく本州中部地方の名を用いたり」と述べている。
つまり、中部地方に当たるエリアに「適切な名称がなかった」から『中部地方』と便宜的に名付けたとされているのです!
この『中部地方』という実態の乏しい地方区分。筆者は従来どおりの「北陸地方」「東海東山地方」と2分割した方がスッキリすると思うのですが…いかがでしょうかね?
仮に『北陸地方』と『東山東海地方』という区分でしたら、どうなっていたでしょうか?
となり、東北地方や関東甲信越地方など、立ち位置が曖昧だった新潟県も間違いなく北陸地方の一員となっていたはずです。
東山東海地方
こちらも、名古屋市を中核として、一体感を持った「地方」として成立していたはずです。その場合、三重県も間違いなく東山東海地方に加わっていたことでしょう。
ともかく…関東と関西の間にある寄せ集めとしてまとめられてしまった「中部地方」。もしも今後地方の区分変更があるのならば…「北陸地方」と「東山東海地方」の2区分に分ける方がふさわしいと、筆者は考えています。