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NHK大河ドラマ【どうする家康】第9話コラム 『守るべきもの』

NHK大河ドラマ『どうする家康』第9話コラム

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こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均35泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。

 

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こちらは毎週日曜日にお届けする【NHK大河ドラマ『どうする家康』コラム】の記事をお届けしています。


 

今回も「三河一向一揆」のお話の続きでした。

 

この「三河一向一揆」は、家康が三河で独立してから最大の危機でした。ここで一向宗相手に勝利し家中をまとめ上げなければ、松平家康もそこまで。同じ松平一族の他家や、本来の守護である吉良義昭らによって三河国主は取って代わられていたことでしょう。

 

ちなみに、三河本来の守護である吉良義昭は、足利将軍の血を引く名門です。この吉良家は、義昭の兄の系統が江戸幕府高家として存続し、やがて吉良上野介義央を出します。あの赤穂事件の吉良上野介ですね。

 

三河一向一揆は、結局、和議によって終結します。松平の家中には、一揆方に与した多くの家臣たちがいましたが、家康は彼らを不問にすることで家中の結束を高めています。

 

そんな中、一揆方の軍師として戦いを指揮していた本多正信は、松平家中には戻らずに追放されてしまいます。それだけ、一揆方の中枢にいたからでしょうか。

 

実は彼は、武断派が多い松平家中では数少ない知恵者。他の勇猛果敢な三河武士たちとは毛色が違う人物でした。そのためか、本多正信三河武士たちからは嫌われており、家中に戻すことに反対する人々も多かったと言われています。ただ一人、大久保忠世だけは、本多正信の理解者で、彼は後に家康と正信を再会させるキーマンとなります。

 

さて本多正信が家康と面談した際に語ったことは、今後の家康に大きな示唆を与えました。

 

民たちは現世が苦しいがために阿弥陀如来にすがる。殿が、民たちが必死に育てた米をたらふく食べられているのはなぜか?領主として君臨していられるのはなぜか?

 

戦国時代とは、日本史の中でも特異な時代です。

 

飛鳥時代

奈良時代

平安時代

鎌倉時代

室町時代

※戦国時代

安土桃山時代

江戸時代

 

これらは、日本史に置ける時代区分です。気が付いている人は少ないですが、これらは『時の政治中心があった場所』を時代名として冠しているんです。

 

奈良時代には、政治の中心は奈良に。

江戸時代には、政治の中心は江戸に。

 

戦国時代だけが唯一場所じゃありません。なぜか?それは『戦国時代は各地で大名たちが群雄割拠しており、政治の中心が存在しなかった時代』だから!全国を統治する政治機構が存在しなかったからこそ『戦国時代』なのです。

 

当時は「室町幕府」こそ存続していましたが力が弱く、もはやその存在は有名無実。全国を統治する政治機構としての役割は果たせていませんでした。つまり、各地の大名たちが勝手に領国を支配し、相争っている状態です。

 

そんな無秩序な世界で苦しむのはいつも民。そんな民が苦しむばかりの世界を変えなくてはならない。家康は…三河一向一揆の経験から、天下とは何か、殿様とはなにか、武士とはなにか…の多くを学んだのです。

 

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