千葉が100万都市に発展したのは棚ボタ!?
千葉県千葉市。現在は人口102万人を有する、国内屈指の大都市です。
千葉県の県庁所在地として、行政、経済、教育、文化の中心地としても機能していることから、県庁が置かれるべき、由緒ある都市だった…と思われがちですが、さにあらず!
実は「千葉県」ができたのも「千葉」に県庁が置かれたのも、棚ボタものだったって…ご存知でしたか!?
筆者紹介
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「千葉」の歴史
中世千葉氏の城下町
「千葉」に町が作られたのは、平安時代。周辺を治めていた「千葉氏」の一族が、猪鼻台に城を築き、周辺を城下町として整備したのが始まりです。町として歴史はかなり古い部類に入りますね。千葉氏はその後も、鎌倉幕府の有力御家人として権勢を誇ります。
だがしかし。
その後「千葉」周辺は荒廃します。室町時代~戦国時代にかけて、千葉氏は内輪揉めをきっかけに力を失い、その後は弱小豪族のひとつにまで転落してしまうのです。
「千葉」は忘れられた城下町
やがて戦国時代、小田原北条氏が関東の覇者として房総半島に入った際に、千葉一族はその傘下となります。が…天下統一を果たす豊臣秀吉による関東征伐の結果、北条氏もろとも千葉氏までも追放されてしまうのです。
その後「千葉」の町は、城下町としては放棄されます。江戸時代には、佐倉街道の宿場町として、また千葉神社の門前町として、また、佐倉藩の外港(港町)として、わずかにその名を留めているに過ぎませんでした。この房総半島北部の中心都市は、江戸の東の守りとして重要視された城下町「佐倉」であり、「千葉」は忘れられた町に過ぎなかったのです。
「千葉県」誕生前夜
江戸時代が終わり明治時代に入ると、明治新政府は、天皇中心の新政府は統治形態に変えるために「廃藩置県」を断行します。
その結果、現在の千葉県の県域には26もの小県が建てられることになりました。やがて明治4年11月、全国的に県が統廃合され、北部に「印旛県」、南部に「木更津県」、さらに東部に「新治県」の3県へと統合されます。
- 印旛県 県庁佐倉(実際は流山)
- 木更津県 県庁木更津
- 新治県 県庁土浦
しかし明治6年、突如、「印旛県」と「木更津県」のふたつの合併が決まります。これは、当時の県知事にあたる県令「芝原和」が、印旛県令と木更津県令を兼務していたため…とも言われています。
この「印旛県」と「木更津県」の合併こそが…転機でした。
棚ボタ!2つの県庁の中間地点が県庁に指定!
当時、北部「印旛県」の県庁は流山に、そして南部「木更津県」の県庁は木更津に、それぞれ置かれていました。この両県の合併が決まった際…誰もが思いもよらぬ地に新県庁の白羽の矢が立てられたのです。
それこそが東京湾に面した港町「千葉」!流山と木更津の中間点にあった、忘れられた城下町「千葉」に突如県庁が置かれることになり、県名も『千葉県』とされることになったのです!
「千葉」に県庁が置かれることになったのも、そのせいで『千葉県』という県名になったのも、元をたどれば完全に棚ボタ!流山と木更津のほどよく中間点にあったことで県庁に選ばれたことで「千葉」の未来は開けたのです!
首都の衛星都市として発展する「千葉市」
※千葉市HPより
『千葉県』が発足し、県庁が置かれた当初の明治6年時点では、「千葉町」は寂れた港町に過ぎませんでした。県民も「千葉ってどこ?」「なんで千葉に県庁が?」という状態だったことでしょう。
小さな港町だった「千葉町」は、大正10年になってようやく「千葉市」に昇格。それでも、この時点では人口はわずか3.3万人足らずでした。
発足当時、寂しい港町に過ぎなかった「千葉」は、首都・東京の隣接地としてその後、爆発的な発展を遂げます。
1942年に人口10万人突破
1971年には人口50万人を突破
1987年には人口80万人を突破
1992年には政令指定都市に指定
まさにうなぎ登りの人口増加を果たすのです!発展のきっかけは…県庁所在地「千葉市」が、「印旛県」と「木更津県」のちょうど中間点という立地にあったという、棚ボタ的な幸運があったればこそ!
まとめ
ちなみに「千葉県」はその後、東部に建てられていた「新治県」のうち利根川以南部分を併合し、現在とほぼ同じ県域を持つ県となります。
もしも、発足当時から「新治県」も一緒に合併することになっていたら…3県の中間点である「佐倉市」辺りに県庁が置かれていたかもしれません。
その場合は…現在の『千葉県』という名を持つ県も存在せず、政令指定都市「千葉市」の繁栄もありませんでした。
つまり!「千葉市」は棚ボタがきっかけで県庁所在地となり、その後、政令指定都市&100万都市へと成長したとも言えるのです!