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【鎌倉殿の13人】ざっくりコラム 第42話 実朝が頼ったのは後鳥羽上皇!

こんばんは!旅人サイファです!

本日もNHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】ざっくりコラム最速でをお届けします。

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まさかの夢枕に立つ上皇さま再び!祖父・後白河法皇(西田敏行)の如く、実朝の夢枕に立ち、その行く末を諭した後鳥羽上皇(尾上松也)。

 

将軍による親政を行いたい実朝と、裏から鎌倉政権を牛耳りたい執権・北条義時との間の権力闘争が激しさを増しています。

 

敵対勢力を次々に殺し滅亡させてきた北条一族は、もはや向かうところ敵なし。本来の主人であるはずの将軍でさえも蔑ろにするようになります。

 

その一因となっていたのが、頼朝の寡婦であり、実朝の母でもある北条政子でした。

 

政子自身が、嫁ぎ先の鎌倉殿と、実家の北条の融和を願うのはごく当たり前のことかもしれません。しかし…時代は乱世。このどっち付かずの態度が、北条一族をのさばらせてきた最大の要因でした。これまで、尼御台である政子が決断しなかったことが…数々の有力御家人たちを滅亡させてきたことにようやく気が付いたのです。

 

「鎌倉あっての北条」。

 

これが、いつの日か「北条あっての鎌倉」へとスリ代わっていたことで、鎌倉政権はバランスを崩し始めていたのです。

 

政子は今回、ようやく覚悟を決めたようです。後押ししたのは、後白河法皇の女御だった丹後局(鈴木京香)でした。

 

かつて、後白河法皇の面前で政子のことを「東夷」と罵った彼女だからこそ、権力を持つことの意味と覚悟を、政子に諭すことができたのでしょうか。

 

さて、実朝たっての願いにより作られた、宋へ渡る巨大船の建造は、海に浮かべることすらできないまま、計画は頓挫してしまいました。

 

気落ちする実朝に、政子はある秘策を授けます。それこそが…将軍退位と、天皇家からの養子を招くという策でした。

 

歴史の教科書には、鎌倉時代の将軍家系図は、三代目までしか書かれていません。初代頼朝、二代頼家、三代実朝。しかし、実はこの後も、四代、五代、六代と鎌倉将軍家は養子を招きながら継続していくのです。

 

政子は、ようやく覚悟を決めたのでしょう。この鎌倉政権を永らえるためには、「北条家よりも鎌倉殿の方が大事」と。

 

ここまで北条がのさばるその権力の根源は、「鎌倉殿との血縁関係」にあり。それを切ってしまえば、北条が力を持ちすぎることはない!

 

このまますんなりと実朝から養子へと代替わりが進めば…北条は根なし草のように力を落としていくことになったでしょう。

 

だがしかし。

 

ひとり…予定外の人物が鎌倉へと戻ってきてしまいます。

 

その人物こそが、ここからの話のキーマンになる公暁(こうぎょう)。

 

彼は、実朝から見れば兄頼家の子、つまり甥っ子に当たる人物です。れっきとした鎌倉将軍家の血筋であり…北条政子の孫でもあります。

 

彼の存在が…また鎌倉に血の雨を降らせることになるのです。

 

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