【休業の『京都平安ホテル』高い評価を受けている日本庭園はどうなる!?】
京都御所から通りを挟んですぐお隣に位置している『御所西 京都平安ホテル』。
このホテルの有する日本庭園は、世界的にも高く評価されています。米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング(The Journal of Japanese Gardening)」が毎年発表しているランキングでも、2017年の第4位をはじめ、毎回上位に入選する常連のお庭です。
しかし!この『京都平安ホテル』…なんと2022年6月末を持って休業してしまっているのです!
こちらは、休業と庭園公開の停止を目前に控えた2022年5月末に『京都平安ホテル』を訪れた際のレポートです。
旧『京都平安ホテル』が営業中は、このように「ホテルの日本庭園」として宣伝もされており、宿泊客でなくともお庭の鑑賞が可能でした。
しかし、現在はホテルが休業したことで、鑑賞不可になっていますが、この素晴らしいお庭…有料でも良いので、どうにか鑑賞できる状態を維持して欲しいものです。
いやそれにしてもですよ!ロビーから見るこの風景だけでも素晴らしいと思いませんか!この風景が失われるとしたら…庭園好きとしても残念この上なし!
京都平安ホテル庭園の歴史
京都平安ホテルの敷地は、京都御所から烏丸通を隔てて真向かいに建っています。この土地柄、かつては公家屋敷が建っていました。その頃からすでに、この庭園の原形は作られていたようです。
天皇の台所を預かる内膳司に勤務する役人の宿舎である内膳町が置かれる
戦国時代
織田信長の築城による旧二条城に関係あり<旧二条城は当館の南方にあったと推定>
安土桃山時代~江戸時代前期
糸商人松屋三郎右衛門が居住
江戸時代中期~明治時代
公家屋敷が置かれる<1868年の京町絵図によると「醍醐殿」とある>※醍醐家は公家の中では上の下に位置する
明治時代以降
公式パンフレットより
七代目小川治兵衛による改修
この庭園は、公家屋敷の庭園として江戸時代後期に造られた池泉回遊式の本格的な庭園です。
その後、大正年間に近代日本庭園の作庭で名高い小川治兵衛氏の手により改修され、昭和55年の平安会館(のちの京都平安ホテル)改築時に再改修され、現在に至っております。
庭園の中央の池には石橋が架かり、滝が流れ落ち、また築山をもうけ、四阿(あずまや)を配し、周囲との調和を図っています。
また京都名産の鞍馬石や加茂石、白川石などを効果的に配し、その景観を見事にしています。
公式パンフレットより
こちらのお庭の改修をしたのが、「植治」こと七代目小川治兵衛その人!小川治兵衛は、明治の元勲のひとり山県有朋に見出だされその名を高め、その後、時の有力者からの依頼を受けて、京都や東京に数々の名庭園を残している人物です。
小川治兵衛の庭園は、水の流れをダイナミックに使うことで、生きた庭園を演出するのが非常に巧い!
ここ『京都平安ホテル』の庭園も、後方に滝を設けてその流れを生み出し、さらに下流に流すことで、清らかなままの生きた水を活かしたお庭作りがなされています。
また、周囲の木立を高く取ることで、隣接地に建つ民家やビルの存在を一切感じさせない、閉ざされた空間を作り出していますね!いやはや素晴らしい!
こんな、世界的にも評価の高い『京都平安ホテル』の日本庭園。開業していた頃は、宿泊者以外でも無料で鑑賞させて頂けていたんです!
ホテル×庭園の傑作とも言われる『京都平安ホテル』、ホテルが休業してしまったことで、現在は庭園を鑑賞することができません。
有料でも良いので…この素晴らしいお庭を鑑賞できるよう、所有の京都府(地方職員共済組合京都府支部)には頑張って欲しいものです!
(休業)御所西 京都平安ホテル
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