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【山形県第2の都市はどこだ!?】~都道府県No.2物語~

山形県第2の都市はどこ!?

 

全国には47の都道府県が置かれています。その47の都道府県内には、地方行政の中枢として機能する県庁所在地が置かれていますよ。

 

大抵は、その県内で最多人口の都市が県庁所在地とされることが多いです。ですが…最大都市は有名でも、それに次ぐ「第2の都市」って意外と知られていません。

 

そんな、都道府県内の第2の都市に焦点をあてた連載【都道府県No.2物語】!人口ランキングを基に、今回は『山形県』の第2都市を探っていきます!f:id:traveler-cipher:20220622174402j:image

こんにちは!全国各地を旅行して、その土地土地のことを考えている旅人サイファです。

毎週月曜日は毎回ひとつの県を取り上げた~都道府県No.2物語~をお送りしています。

 

2023年版更新!最新ランキング!

第1位 山形市 24.4万人

第2位 鶴岡市 11.8万人

第3位 酒田市 9.7万人

第4位 米沢市 7.9万人

第5位 天童市 6.1万人

2023年最新データでも、上位に変動はなさそうです。第2の都市は『鶴岡市』ですね。鶴岡市酒田市がもしも合併したら…山形県の勢力図も大きく変わりそうですが、当面はこの顔ぶれで変化はなさそうです。

 

山形県の歴史

山形県は東北地方の日本海側、かつて律令国では「出羽国」と呼ばれたエリアの南部です。明治時代に陸奥・出羽の分割が行われ、現・山形県の一帯は「羽前国」とされました。※酒田市周辺は一部羽後国

 

戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、現県域の大部分は最上氏によって統一されます。最上氏は、山形城を本城として大々的に整備し一大城下町を作り上げます。

 

最上氏がわずか三代で改易(追放)されてからは、山形藩庄内藩米沢藩新庄藩といった中規模大名が割拠する形で治めるようになります。

廃藩置県にて、それらの藩が解体・統合されて明治9年に現在の山形県の形となります。

 

県域は東に奥羽山脈(蔵王連山)と西に月山・鳥海山という山に囲まれ、その中央を最上川が流れています。県民の大多数がこの最上川沿いで生活しているため、まさに「母なる川」として県の象徴にもなっています。

 

現在の山形県内は大きく4つのエリアに分けられ…

① 内陸中央部の「村山(山形)地方」

② 内陸北部の「最上地方」

③ 内陸南部の「置賜地方

日本海側の「庄内地方

に大別されます。

 

山形県の県庁所在地

 山形県の県庁は、そのものズバリ!「山形市」に置かれています。山形市のルーツは、戦国時代にこの地を治めた最上義光によって築城された「山形城」にあります。山形城跡は現在、霞城公園として市民の憩いの場になっていますね。

 

山形市は、県の内陸中央部「村山地方の中心都市」です。お隣の宮城県仙台市と隣接しており、経済的には県内のどの都市よりも仙台との関係の方が密接とも言われています。何せ、山形市仙台市を結ぶ高速バスは1日90往復もあるとか!?

 

第2都市候補

鶴岡市

庄内エリアの中心地その①で、鶴岡藩酒井家の城下町として栄えた武士の町です。県域内でも随一の広さの平野を持ち、北の酒田とセットで栄えました。

 

酒田市

庄内エリアの中心地その②のこちらは、北前船の重要寄港地として栄えた商人の町です。広大な水田を有し、その大部分が豪農・本間家の物だったとも言われています。

 

米沢市

置賜エリアの中心地がここ米沢市関ヶ原の戦いの後、名門上杉氏の本城として栄えた町です。現在では米沢牛が有名ですね。

 

新庄市

こちらは県内北部・最上エリアの中心地です。現在の山形新幹線の終着駅でもありますね。

 

人口ランキング推移

さて!それでは1980年~2010年までの県内人口ランキングの推移をみてみましょうか!

 

これはまた興味深い結果ですね!

トップは県庁所在地の「山形市」が不動ですが、熾烈なのが2.3.4位の争い!庄内地方の二大都市「鶴岡市」「酒田市」の激しいデッドヒートに加えて、第4位の「米沢市」もその差はわずか!1980年時点では、1万人の範囲内でその3都市がひしめき合っていました。

 

この中で、2000~2010年の間で人口を減らした米沢市がまず脱落。2位争いは庄内地方鶴岡市酒田市の一騎討ちの様相を見せます。

 

ここまで

鶴岡市は2位→3位→3位→2位

酒田市は3位→2位→2位→3位

これはまれに見るデッドヒート!

 

かつて、庄内地方にはこんな俗謡が流行ったといます。

「本間様にはなれずとも、せめてなりたや殿様に」

庄内地方一帯を治めていた鶴岡藩主「酒井氏(殿様)」よりも日本一の地主とも言われた酒田の「本間家」の方が真の実力は上…とされていたことを皮肉ったものです。

 

このように庄内地方は「政治は鶴岡」「経済は酒田」と当時から2つの顔を持っていたんですね。そんな庄内地方の二大都市による、山形県のNo.2争い!最新データでの結果は!?

 

2021年!山形県第2都市はここ!

それでは!2021年10月の人口ランキングから最新の山形県内人口データを見てみましょう!

第1位 山形市 24.6万人(全国91位)

第2位 鶴岡市 12.0万人(同204位)

第3位 酒田市 9.8万人(同264位)

第4位 米沢市 8.0万人(同319位)

第5位 天童市 6.1万人(同413位)

最新データでも「鶴岡市」が第2位の座を死守しました!一時期はわずか1000人ほどの差で競っていた第3位「酒田市」との差を、さらに広げた結果になっています。

 

なお、第4位の「米沢市」と第5位の「天童市」も含めて、上位5市の顔ぶれはここ40年間で変わっていません。これもまた興味深いところですね。

見事、山形県第2の都市の座を死守した鶴岡市は、2005年に周辺市町村と合併したことにより、全国でもトップクラス(全国10位)の面積を誇る市となっています。

 

江戸時代には、徳川四天王のひとつ「酒井氏」が庄内藩を設立し、ここ鶴岡に本城を定めました。同じ山形県とはいえ、内陸部との間に月山など険しい山々が聳えるため、庄内地方は半ば独立した文化圏を形作っています。

 

元々は山形藩よりも石高は高く、譜代筆頭の自覚もあった酒井氏と庄内藩でした。しかし、戊辰戦争で朝敵にされたこと、そして日本のメイン交通軸から外れてしまったことで、県内最大都市である山形市には水を明けられる結果となってしまっています。

 

さすがに鶴岡市酒田市の合併はないでしょうが、もしも両市がタッグを組んだら、山形市の牙城も崩せるかもしれませんね!

 

と、いうことで…【山形県第2の都市は鶴岡市】でした!

 

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