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週末雑感 R4.2.20 ウクライナはロシア民族の祖国!ロシアが引けない歴史的理由!

こんにちは、旅人サイファです!

毎週日曜日はその時起こっていることをリアルタイムで執筆する『週末雑感』です。

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日に日に緊迫感を増しているウクライナ情勢。

ロシア・プーチン大統領は本当にウクライナへ侵攻するのか。世界中が固唾を飲んで警戒しています。

 

焦点となっているウクライナという国。かつてソビエト連邦の一部分であったことはご存知の方も多いでしょう。特に現ウクライナの首都でもあるキエフは、広大な領土を誇ったソ連時代でもモスクワ、レニングラードに次ぐ第3の人口を有していました。

ソ連の中枢のひとつとも言える存在だったのです。

 

そもそも、ロシア人に代表される東スラブ人の国家の始まりは、ここウクライナから始まっています。9世紀ごろに成立した『キエフ大公国』こそがそれです。

このキエフ大公国…現地語で『キエフ・ルーシ』と呼ばれる大国でした。この国は最盛期にには現在のウクライナポーランドベラルーシ、ロシア、ルーマニアにおよぶ広大な領土を有しています。

 

この『キエフ・ルーシ』は12世紀に東方から侵入してきたチンギス・ハーンを始祖とするモンゴル人国家に滅ぼされてしまいます。その後スラブ民族たちが立ち上げた国々が、現在のロシア系の国家なのです。

 

なにせこの「ルーシ=国」という言葉こそ…現在のロシア系諸国の原点!なにせ、「ロシア」という言葉も、元々は「ルーシ」が現地語化(訛った)もの(ルーシ→ルーシァ→ルシア→ロシア)なんです。「ベラルーシ」には今もルーシが付いていますね。

こういった歴史もあり、現在のロシア人にしてみると、ウクライナスラブ民族の祖国とも言える土地なんです。

 

ロシアにしてみれば、民族の聖地であり、紛うことなきロシア勢力圏のはずであったウクライナソ連崩壊後にウクライナ共和国として独立したものの、2000年代までは親ロシア的な東側諸国の一員でした。

 

しかし、その後のロシアの低迷に合わせて、いつの間にかウクライナは西側と接近し、挙げ句の果ては対ロシア包囲同盟であるNATO(北大西洋条約機構)まで加入しようとしている。ロシアにしてみれば、民族の祖国であるはずのウクライナまでもが西側に寄ってしまうのは我慢ならん!という感情論も背景にあるのかもしれません。

 

元々はソ連という同一国家に属していたロシアとウクライナ。そのため、ウクライナ東部(ロシア側)にはロシア系住民が多数派を占める地域も存在しています。国内第2の都市ドネツク周辺などがそれに当たります。

 

ロシアは、これらロシア系住民が危険にさらされている…という名目でウクライナ東部占領の動きを見せているようですが、どうなるか。中国といいロシアといい、独裁政権国家は「面子」を最重要視します。果たして、プーチン大統領はどのような判断を下すか。北京オリンピックが終わったその日が…Xデーにならないことを切に願います。

 

今回は、「ウクライナ情勢」という時事問題を、歴史的観点から考察してみました。

 

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