こんにちは。旅人サイファです!
今回はこちら、先日ネットで見かけた画像が興味深かったので少し宗教の話をしよかと思います。
この画像は、某キリスト教系大学で行われていた七夕飾りが、大学の宗教センターの指示により、撤去されたという掲示です。七夕祭りはキリスト教とは相容れないため…と理由が書かれています。
※あくまでTwitter上で流れてきた画像なので、真偽のほどは分かりません。しかし非常に興味深い示唆を与えてくれますので、今回記事にまとめます。
この画像に対してネット上での反応は…
・七夕くらい認めろ
・偏狭な大学
・寛容性を学んでください
など、否定的な意見ばかりが並んでいましたが、私は逆に『この大学は信用できる大学だな…』との印象を受けました。
というのも、大学側の主張がキリスト教本来の教えに非常に忠実であるからです。硬派なキリスト教大学なんだろうなと感じたのです。
そもそもキリスト教は一神教です。一神教とは、『神は唯一絶対のもの』で、『他の神など存在しない』、他の宗教は『邪教で誤った教え』であるという考え方なんです。
キリスト教の元となったユダヤ教や、そのユダヤ教から派生したイスラム教もまた一神教。この3つの宗教は、一神教同士であるためにお互いを認めることができず、これまで三つ巴の争いを繰り返してきました。
例に困らないくらい、現代世界までこの三者の争いは続いています。
さて、はじめに画像を出したキリスト教系の大学の話に戻りましょう。
あの画像の大学がどこの大学なのかは分かりませんが、私は大学の判断は悪くないと思っています。なにせ、本来のキリスト教は『他の宗教を認めてはならない』と説いているのですから。
一神教は他の宗教は認めない。一神教をストイックに突き詰めると、他の宗教の儀式や風習も否定せざるを得ないのです。彼らは、そもそもが他宗教に『排他的』であり『非寛容』な存在。彼らに『受容』や『寛容』を求めること自体がナンセンスなのです。件の大学は、キリスト教の教義を忠実に守っているにすぎないのです。
しかし、そんな『非寛容』な一神教にも、もちろん素晴らしい美点もたくさんあります。そのうちのひとつが『平等』の精神です。この世に生きる全てのものが、唯一神によって作られたもの。神こそが唯一絶対の存在で、それ以外は全てが平等…というのが一神教の考え方です。ですので、民主主義や平等主義というものも、一神教世界からでないと発生しませんでした。寄附行為や慈善事業が欧米で盛んなのも同様の理由からです。
自分の信じる神以外は認めないという一神教世界。件の大学も、はじめから『キリスト教の教義に則った教育機関である』と周知していたことでしょう。しかし我々日本人の大部分は、一神教がどういった宗教なのかを知らずに過ごしています。そして日本人は八百万の神を信じる多神教民族。何でも守として拝んでしまえる、『寛容さ』では世界屈指の民族とも言える存在なのです。
その辺りの温度差が、冒頭にあげた画像への反感となって現れているように思います。日本人は「七夕くらい大目に見ろよ」と思う人が大多数でしょうが、世界には、ひとつの神しか信じることができない『一神教』の教徒の方が遥かに多いのです。
…いかがでしたか?ひとつのポスターから見る一神教世界の話。非常にセンシティブな話題ではありますが…世界情勢を知る上で、宗教の知識は必須です。ぜひ一度、整理して学んで見てください!
次回は無宗教と言われる日本人の宗教観について…!
つづく!
次回です