本日放送のNHK大河ドラマ『青天を衝け』ざっくりコラムです。
攘夷という流行病が世の志士たちを突き動かしていた時代。
武蔵血洗島の渋沢栄一周辺にも、攘夷決行の風が強く吹いて来ました。
一方、幕府中枢でも動きが。
安政の大獄の煽りを受けて謹慎処分とされていた一橋慶喜(のちの15代将軍)が幕閣に復帰。
これには外国人嫌いで有名な薩摩藩の島津久光の強い意向が反映されていたと言われています。
攘夷という流行病を起こしたのは水戸藩です。
そしてその病に大いに感染したのが長州藩です。
特に長州の志士たちは公卿の三条実美らと結託し、朝廷中枢を攘夷派で固めます。
そして幕府に攘夷決行を迫ることでさらに混乱に拍車をかけます。
しかし、現実的には攘夷など夢のまた夢。
長州は下関戦争で、薩摩半島薩英戦争で、西洋諸国にこてんぱんにやられて、はじめて攘夷という流行病から目を覚ますことになります。
こうして尊皇攘夷というスローガンは急速に色褪せていき…開国倒幕という方向に舵をとることになるのです。
本来であれば、明治維新の主役のひとつにもなれたはずの水戸藩は、攘夷という病から最後まで抜け出せずに多くの有能な志士たちとエネルギーを失います。
そして最後は…天狗党の乱という暴発で残っていたエネルギーのほぼ全てを失います。
その天狗党の首謀者のひとりが…今回の話にも登場した藤田小四郎。
水戸藩の人々は、薩摩長州勢が成し遂げた明治維新を…『こんなはずじゃなかった!』と歯がゆい思いで見ていたことでしょう。
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