こんにちは!旅人サイファです!
今回も、シリーズ【旧一級国道をめぐる】第4話!
国道16号線~20号線をお届けします!
ここまで沿岸部の国道がメインでしたが、ここから内陸部、北関東・甲信越エリアの国道も出てきますよー。
総延長348.4㎞
経由する県は4都県(神奈川、東京、埼玉、千葉)
東京近郊をぐるっと結ぶ環状道路。
起点と終点が同一な完全な環状になっている国道はこの16号線と名古屋の302号線の2本のみ。
東京都心から、およそ半径30~40㎞の円を描く。
横浜、相模原、町田、八王子、川越、さいたま市、春日部、野田、柏、千葉、市原、木更津、(東京湾を横断して)、横須賀と、東京の外郭都市を結んでいる。
元々の起源は、東京と横須賀の海軍鎮守府を結ぶ軍用道路。
昭和に入り、横須賀ー富津間に巨大橋梁を架ける『東京湾口道路』を計画。
これにより、従来の横浜-横須賀間に加えて、別の国道指定されていた千葉区間、埼玉区間、横浜-八王子区間等の、周辺国道を吸収し、環状道路として整備される。
※東京湾口道路計画は採算性が疑問視されほぼ廃案となっている
沿線には大型ロードサイド店舗やファミレスが並び、ここだけである程度生活が賄えてしまうほど充実している。
総延長458.7㎞
経由する県は4都県(東京、埼玉、群馬、新潟)
起源は江戸時代に整備された五街道のひとつ中山道(中仙道)と、高崎より北方は越後へ続く三国街道。
雪深い三国峠を越えて新潟へ続く三国街道は、江戸と越後を結ぶ唯の唯一の道路として、江戸時代から重視されていた。
上越国境の雪深さと峻険な地形から工事は難航し、三国峠を自動車で越えられるようになったのはなんと昭和34年!わずか60年ほどしか経過していない。関越自動車道と並び、新潟の生命線として機能している。
なお全線に渡って、JR高崎線&上越線と上越新幹線、関越自動車道が並走している。
※ちなみに、古代五畿七道のうち東山道(中山道)は不遇を受けている。
本来、京都と東国を結ぶ重要道路だったはずだが、他の六道とは異なり、一貫した国道番号が付けられていない。
これについては番外編で記事にします。
→ページ下部にリンク
群馬県高崎市中心部(君が代橋)~上越市中心部(下源入交差点)
総延長230.8㎞
経由する県は3県(群馬、長野、新潟)
起源は中山道及び北国街道。
高崎まで進んできた中山道を受け継ぐ形で枝分かれ。
安中、横川、軽井沢と進み、御代田町で中山道と別れた後は小諸、上田、長野市へと進む。
上越市直江津で国道8号線とぶつかる。
17号線と同様に旧中山道を構成する国道のひとつ。
東信州の主要都市を貫く、長野県の主要道路のひとつ。
高崎から、JR信越本線(及び第三セクター線)、北陸新幹線が並走。
また、同じく上信越自動車道が並走している。
中山道の難所『碓氷峠(うすいとうげ)』を越えるのは難工事だったようで、明治初期に明治天皇がここを通った時には、その御輿を通すことができずに、天皇は御輿を降りて歩いて峠を越えたという逸話も残されている。
総延長272.6㎞
経由する県は3県(愛知、岐阜、長野)
(起点は名古屋市側だが、ここでは国道18号線との流れで長野市側から記述する)
長野市東方で、新潟県へ向かう国道18号線から枝分かれし、長野県内を長野市中央部→安曇野→松本→塩尻と進む。
木曽路から東濃地域までは中山道をそのままトレースするが、土岐で枝分かれ。
経路は非常に複雑で、①長野市から塩尻までの区間(旧北国西街道)、②塩尻から土岐までの旧中山道区間、③土岐から名古屋までの旧下街道に区分される。
※下街道とは名古屋から中山道へ向かう裏道の旧称
長野県の県庁所在地長野市と、県内第二の都市である松本市を結ぶ、長野県にとっては重要な道路。
また、長野市→塩尻までは長野自動車道が並走するが、その後合流する中央自動車道は山深い木曽路を通らないため一旦別れる。
やがて中津川で再会し共に名古屋方面へ向かう。
総延長230.4㎞
経由する県は4都県(東京、神奈川、山梨、長野)
東京の多摩エリアを貫いて八王子へ至り峠越えの山道へ入る。
相模湖畔で神奈川県をかすめて山梨県へ。
長野県内は富士見、茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷と通過し塩尻で国道19号に吸収される。
都内多摩地区の方々と、特に山梨県にとっては生活に密着した超重要な道路となっている。
ここまで…
国道1号線~20号線
通過した県は42都道府県。
通過していない県は残り5県。
さて問題!
通過していない残りの5県は…何県でしょう!
5つ全てお答えください!
次回です〜
前回です!
番外編!