こんにちは!旅人サイファです!
今回は先日記事にした三千院と同じエリア。
大原にあるもうひとつのスポット、寂光院(じゃっこういん)をご紹介!
ここ大原は京都の北の外れ。
かつて皇族や貴族が隠棲したという隠れ里。
ここに、平家物語のヒロイン建礼門院徳子(けんれいもんいん とくこ/のりこ)が晩年を送った庵があります…。
寂光院。
その名前からして物悲しい響きのある庵。
ここを語るには…建礼門院徳子を語らねばなりますまい。
なお、ここは京都を代表する漬物のひとつ、柴漬け発祥の地とも伝わります。
建礼門院徳子。
父は平清盛、母は時子。
父である平清盛の政略として第80代高倉天皇の皇后として入内。
後に壇之浦の戦いで命を落とす、安徳天皇の母でもあります。
天皇家と平家の蜜月が続いていた時代です。
しかし。
徐々に先行きは怪しい雲行きに。
清盛は後白河上皇を鳥羽殿へ幽閉。
娘婿の高倉天皇と、孫である後の安徳天皇を傀儡として政治を牛耳るようになります。
清盛の圧政はつづく。
高倉天皇を廃位させ、自分の孫であるわずか3歳の安徳天皇を即位させる。
この皇室をないがしろにする圧政に反平氏勢力は不満を募らせ、やがて東国で源氏蜂起へと繋がることとなる。
こうして…徳子の運命は暗転します。
本来は天皇の母として絶大な権力を有していたはずの徳子。
しかし、木曽義仲による京都制圧の煽りを受けて京都から撤退。
さらに源義経率いる源氏軍と神戸近郊での一ノ谷合戦、四国屋島合戦を経て…西へ西へと、幼い安徳天皇を連れて逃避行を続けることになります。
そして迎えた最後の戦い。
一説には徳子も飛び込んだとされるが…結果死にきれず生き残ってしまう。
この時、安徳天皇は助からず三種の神器のひとつ草薙剣も海底に失われてしまいます。
こうして助けられてしまった徳子は…京都吉田を経てここ、大原の地に小さな庵を建てて隠棲することとなるのです。
長くなりました。
建礼門院徳子が源平合戦の戦後、一族の菩提をともらうために住んだのが…ここ大原の寂光院なのです。
実際に訪れると…驚くと思います。
とても小ぢんまりとしています。
かつて権勢を誇った女性がこんな京都の外れ、そしてこんな狭い寺域で生活していたとは。
本堂では建礼門院の半生とその後の厭世生活についてのお話を聞かせてくださいます。
ここの本堂は数年前に放火により焼失しています。
道を挟んでお隣には…実際に庵のあった敷地が残されています。
何坪くらいでしょうか。わずかな敷地。
恐らく…かなり慎ましい生活をなさってたことでしょう。
平家物語の最終章は…ここ寂光院へ後白河法皇が建礼門院に会いに来るシーンで終わります。
そして実家である平氏の滅亡と実子安徳天皇も亡くした建礼門院徳子。
二人きりで語り合ったと言われていますが…かつて世の中心にいた二人。
どんな話をしたのでしょうか。
アクセス
京都バス 大原バス停 下車徒歩15分
拝観時間
9:00-17:00
※冬季短縮あ
定休日
年中無休
拝観料
600円
アドレス
075-744-3341