こんにちは!旅人サイファです!
今回はこちら!
旧国名に出てくる『○前、○後』『上○、下○』ってなんなの?という話。
時代劇などでもよく耳にする旧国名。
武蔵や相模、尾張、なんかがそれに当たります。
この旧国名の中には、『○前』『○後』なんていうものもたくさん含まれていますね。
これ、どういうことなんでしょう?
まずはこちらの地図をご覧ください。
こちらは北陸の旧国を示した地図。
現在の福井県から新潟までは『越の国』と言われる巨大国家でした。
この越の国を解体してできたのが、『越前』『越中』『越後』という国々でした。
この『前』『中』『後』ってなんなんでしょうか?
これ、都(畿内)から近い国から『越前』『越中』『越後』と名付けられたのです。
他の『○前、○後』も全て同じです!
奈良(京都)から見て、手前側にあるものから『○前』『○後』と名付けられたんですね!
似たようなものに『上○、下○』もあります。
これも原則として都に近い方が『上○』『下○』と名付けられます!
しかし。
分かりにくいのが現在の千葉県エリア。
こちら現在でいう千葉県の地図。
旧国名でいうと、北から①下総、②上総、③安房と国が別れています。
はぁ?下総が上じゃん!
意味深分からん!
現代地図は北を上向きに表記されるので、アベコベな感じに見えますよね。
ではこうしてみるといかがでしょう?
今度は京都を上にして、さらに京都から続く街道(ピンクのライン)を書き込んでみました。
当時の東海道は、神奈川(相模)から、海を渡って上総へ上陸。
そこから下総へ抜けていくのが正式ルート。
こうして見ると…少しイメージ湧きますよね。
京都に向かって、近い方が上!遠い方が下!
そもそも、現在の千葉県エリアは『総の国』という1つの国でした。
それを、地方行政体としては広すぎることから、上総、下総、安房へ分離させたのです。
それは、先に上げた『越の国』や『吉備の国』と同じ!分割した国を簡便に分けるために、『○前』『○後』としたものです!
ですから、逆に言えば○前○後と着く国は、もとは大きな1つの国!
本来は仲間と考えて良いのです。
以上!