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【ブラタモリレポート】『東海道五十七次の旅』

ブラタモリ】『東海道五十七次の旅第一夜』視聴レポート!

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不定期連載!【ブラタモリ】視聴レポートをお届けします!今回のブラタモリ!テーマは『東海道五十七次』です!

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。

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こちらは不定期にお届けする【NHKブラタモリ』】レポートの記事をお届けしています。

 

 

東海道五十七次とは?

歌川広重の浮世絵でも知られる天下の大街道がら東海道五十三次です。

 

江戸と京都を結ぶ東西日本の大動脈で、中間に五十三の宿場町を有する日本最大の街道です。

 

通常の東海道をいうと…江戸と京都を結ぶ五十三次ですが、現代の国道1号線でもある東海道は、終点が大阪になっています。

 

実はあまり知られていませんが、東海道には、京都へ向かう本ルートとは別に、京都へは向かわずに分岐して、大阪へ向かう別ルートが存在したんです。

 

それこそが…今回は扱われた「東海道五十七次」!京都へ向かう本ルートから分岐する追加ルートなんです!

 

・京都へ向かうルートと大坂へ向かうルートの分岐点!

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江戸から京都へ向かう東海道五十三次から大阪へ向かうルートへとする分岐するポイントが、滋賀県大津市京都府京都市山科の府県境にあるのです。

 

それが、逢坂関のすぐ近く。名神高速道路の京都東ICからも程近い路地に、現在も分岐する三差路が現存しているのです。

 

・なぜ大津に分岐点が作られた?

しかし…現在の国道1号線がそうであるように、わざわざ京都手前で分岐せずとも、京都市中を経由してから大阪へ向かえば良いはず。

 

なぜ?わざわざ京都市中を経由するルートにしなかったのでしょうか?

 

これには、江戸幕府の思惑があったようです。

 

もしも江戸へと向かうメインルートが、京都市中を経過するルートであったならば…西日本の大名たちは、参勤交代の度に京都市中に立ち寄ることになります。そしてその度に…西日本の大名たちと天皇や朝廷貴族たちとの接触が危惧される事態になります。

 

幕末に江戸幕府が倒された遠因も、ひとつは天皇家や朝廷と西日本の大名たちが結び付いたこと。もともと江戸幕府の権威の根拠も、朝廷から「征夷大将軍」に任命されることにあります。江戸幕府にしてみれば…自分たちよりも上位にある天皇家や朝廷という存在を、配下の大名たちに意識させたくなかったのでしょう。

 

そのため…大阪から江戸へと向かうルートは京都市中を通らずに、南の伏見から大津へと抜けるショートカットルートで設計したのだと推測されるのです。

 

徳川御三家は伏見生まれ!

今回、ブラタモリ内でも紹介されていましたが、豊臣時代末期から江戸時代初期にかけて、徳川家康が根拠地としていたのは、江戸でも駿府でもなく…実は伏見!

 

当時、徳川家康豊臣秀吉を支える大老のひとりとして、大阪や伏見の屋敷で生活をしていました。

 

豊臣秀吉の本拠地といえば「大坂城」をイメージする方も多いでしょうが、実は、秀吉は晩年、京都と大坂の中間点にある伏見に「伏見城」を築いて生活をしていました。あまり知られていませんが、実際に秀吉が亡くなったのも伏見城内なんです。

 

豊臣家の大老であった家康も、秀吉の晩年から征夷大将軍に任命されるまでは、主に伏見城下の屋敷を根拠地として活動していたのです。

 

後に徳川御三家をたてる尾張義直、紀伊頼宣、水戸頼房は、実はみなそんな伏見生活時代に生まれた子供たち!伏見は…御三家のとのさまたちの生まれ故郷なんですね。

 

そんな伏見は、3つの顔を持っています。

ひとつが…伏見城の城下町

もうひとつが…水運の要衝としての港町

さらにもうひとつが…酒の町

 

現在でも、伏見の住所地番は秀吉の城下町時代の様子を色濃く残しています。


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特に城下町であった桃山町周辺は…

 

桃山町井伊掃部町

桃山町島津

桃山町治武少丸

桃山町鍋島

桃山町本多上野

桃山町松平武蔵

桃山町長岡越中

 

など…戦国武将たちを彷彿とさせる地名が今も残されています。かつて…全国の武将たちが実際に暮らした町と思うと…胸が熱くなりますよね!