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【大河ドラマコラム】NHK大河ドラマ「光る君へ」第10話『月夜の陰謀』

NHK大河ドラマ『光る君へ』コラム

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こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『光る君へ』コラムをお届けします。

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。

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こちらは毎週日曜日にお届けする【NHK大河ドラマ『光る君へ』コラム】の記事をお届けしています。

 

 

第10話 月夜の陰謀

遂に前半の山場…寛和の政変が始まりました。

 

これは、右大臣・藤原兼家によるクーデターに他なりません。

 

兼家にとってみれば、相性の悪い花山天皇は目の上のこぶ。彼が帝位に座り続ける以上、一族に未来はありません。

 

唯一の突破策が、花山天皇を早々に退位させて、自らの娘が産んだ孫・懐仁親王を即位させること。

 

懐仁親王が次の天皇に即位すれば、兼家は外祖父。もう怖いものはありません。

 

このクーデターは、突然起こされました。

 

愛する妻を亡くし消沈し続ける花山天皇は、周囲に出家して菩提を弔いたいと洩らすようになっていました。

 

それを上手く利用したのが兼家です。

 

兼家は、天皇の側近く仕える蔵人でもある次男・道兼に、花山天皇へ出家を促すよう唆かしたと言われています。

 

道兼を信頼していた花山天皇は、彼に導かれるままに御所を出て、山科の元慶寺へと連れ出すことに成功します。そして、自らも共に出家すると嘯いたこともきっかけとなり、花山天皇は剃髪してしまいます。

 

天皇が出家するということは、つまり天皇位から退き、次の天皇へと帝位を譲るということ。

 

花山天皇東宮(皇太子)こそが…兼家の孫にあたる懐仁親王

 

闇夜に紛れて天皇位の証でもある剣璽をも懐仁親王の元へ運び込んだ兼家は、自らの思惑通りに花山天皇の退位→懐仁親王の即位というシナリオを完成させました。

 

なお、懐仁親王は、即位して「一条天皇」となります。即位当時わずか6歳という幼少天皇でした。

 

剣璽とは?

剣璽とは、第1義には、三種の神器(歴代天皇が伝世している三種の神器)のうちの剣と玉、すなわち、天叢雲剣八尺瓊勾玉を併せた呼称である。神器の勾玉を璽(あるいは神璽)とも呼ぶため、「剣璽」と称される。

剣璽とは、いわゆる三種の神器のことで、天皇位継承権の象徴です。

 

この時代よりあと、三種の神器のうち「天叢雲剣」は、源平合戦の最中に壇之浦の海中で失われてしまいますが、この時代はまだ健在。本物のの天叢雲剣が宮中に納められていたんですね。

 

現在は、三種の神器はバラバラに保管されています。

天皇位の正当性を示すためには、この三種の神器がどうしても必要です。寛和の政変を成功させるには、花山天皇の剃髪と、三種の神器の確保が必要。かなり困難なミッションを成し遂げたんですね。

 

道長とまひろ

 

そして…そんな政変の前夜。まひろと道長の二人の関係にも大きな変化が起きました。

 

面白かったのが、ふたりの恋文の応酬。

 

道長が送った和歌に対し、まひろは漢詩で返す。

 

藤原行成は、これを…

・心を送るのが和歌

・志を送るのが漢詩

と、解説していました。

 

そもそもこの時代、男性は漢詩を得意とし、女性は和歌を得意としていました。用いる手段が男女逆なんです。

 

これ、二人の考え方の違いが如実に現れています。

 

自らの感情を和歌に乗せて訴える道長と、冷静にお互いのあるべき地位を訴えるまひろ。

 

女性的に感情に忠実に共に駆け落ちしようと訴える道長に対して、まひろは道長は政治の世界で生きていくべきだ…と理性的にこれを押し留めます。

 

道長とまひろの…男女逆転した思考の違いは、今後の彼らの生き方にも関係してくることでしょう。そういう、第三者的に冷静に物事を見れるまひろだからこそ…源氏物語という作品を産み出せたのかもしれませんね。

 

人物紹介 藤原道兼(玉置玲央)

今回のクーデター「寛和の政変」の主役ともいえる役割を果たしたのが…兼家の次男であり、道長の兄でもある藤原道兼でした。

 

まひろの母を殺した敵…という設定でストーリーが進んでいることもあり、もう完全に悪役が板に付いていますね。

 

今回も、花山天皇を出家に導いたところでさっと身を翻し、「私はここで失礼します」とか冷静に言っちゃうあたり…もう恐怖すら感じるレベルでした。

 

寛和の政変でこれだけ活躍した道兼ですから、今後彼は大きく栄達するもの…と思いきや、残念ながらそうはいきませんでした。

 

道兼自身も、クーデター成功の第一の功労者は自分!という自負があったのかもしれません。現に、寛和の政変の直後には蔵人頭へと出世を果たしていますしね。

 

しかし…父兼家の死後は、不遇を囲うことになります。

 

兼家の死後、道兼は当然、関白位は自身に回ってくるものと思っていました。しかし。父が指名した後継者は、長兄の道隆。これを道兼はひどく恨んだと言われています。

 

道兼に関白位が回ってくるのはそれから5年後に。兄の道隆が死去した際、ようやく道兼に関白位が回ってきます。

 

が。

 

関白宣下を受けてから、わずか7日後に道兼は死去します。世に「七日関白」と称されたと言われています。

 

彼は子孫にもあまり恵まれなかったようで、公卿に昇進したものも、息子の兼隆ただひとり。

 

彼の子孫は地方へ下り、地方豪族の祖となったともされています。真実は定かではありませんが、戦国期まで下野一円を治めた「宇都宮一族」は、道兼の後裔である…という説もあります。

 

なお宇都宮一族は、下野宇都宮を根拠地として源義家や頼朝に従い、名族として繁栄しました。その後は、豊臣秀吉によって所領没収されるまで、500年に渡り宇都宮の地を治め続けたとされています。

 

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