旅人サイファのお出かけブログ

R3.5.15 ブログランキングサイト国内旅行ジャンル第1位獲得!旅行プランナー旅人サイファが送る『旅行に行きたくなるブログ』です!ぜひお立ち寄りください♪

スクロールして項目をお選びください!

NHK大河ドラマ【どうする家康】第42話コラム『天下分け目』

NHK大河ドラマ『どうする家康』第42話コラム

f:id:traveler-cipher:20230108200917j:image

こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。

 

旅人サイファ実績

・スキルマーケット「ココナラ」にて旅行お出かけカテゴリ売上実績No.1

・グルメサイト「ニッポンごはん旅」公認ライター

・スマートニュース/Yahoo!ニュースほかメディア掲載実績多数

・「にほんブログ村」国内旅行カテゴリPVランキング1位を記録

こちらは毎週日曜日にお届けする【NHK大河ドラマ『どうする家康』コラム】の記事をお届けしています。


 

天下の分け目!

いよいよ…物語は天下分け目の大合戦「関ヶ原の戦い」の前段へとやってきました。

 

関ヶ原の戦い」というと、美濃関ヶ原徳川家康率いる東軍8万と、石田三成率いる西軍9万が激突した合戦だけが語られることが多いですが…実は、この戦いは日本中で行われていました。

 

 

関ヶ原本戦での戦いの前後で、各地で様々に合戦が行われており、東軍の勝利も実は紙一重のものでした。

 

真田の動向

東国でキャスティングボードを握っていたのが真田昌幸でした。

 

元々、武田の配下武将でしかなかった真田昌幸は、本能寺の変後の動乱で、信州上田城を根拠地として大名へと独立します。

 

その後、北条、上杉、徳川、豊臣と周辺の実力者の庇護を次々と代えて、独立を保ちます。どちらの味方か敵かも分からぬ存在で、腹の知れぬ卑怯者と異名を得ているほどでした。

 

関ヶ原の戦いの折りも、真田昌幸は真田らしい戦略で生き残りを図ります。本多忠勝の娘を嫁に迎え入れていた嫡男の信幸は東軍に参戦し、父・昌幸と次男・信繁は西軍へと参戦しました。これは、どちらが勝利しても真田の家名を残すためだったとも言われます。

 

この時…真田昌幸を牽制するために送られたのが、徳川家康の嫡男・秀忠率いる3万の精兵でした。実は、徳川軍団の主力がこの秀忠軍団に配されていたとも言われており…彼らが関ヶ原本戦に間に合っていれば、東軍(徳川軍)の圧勝だったかもしれません。

 

結果的に、真田昌幸に翻弄された秀忠軍団は、信州で足止めされて、関ヶ原本戦へ遅刻するという失態を犯します。真田にしてみれば…東軍から3万の軍勢を失わせたも同じ。もしも西軍が勝利していたら、その功績は甚大だったでしょう。

 

小山評定

徳川軍団が、諸武将を率いて上杉攻めのために東下すると…その隙をついて石田三成らが挙兵します。

…など、豊臣秀吉恩顧の武将たちが、秀吉の遺命を次々と破る徳川家康への反対を大義名分に旗揚げしたのです。

 

上方での西軍挙兵を受けて、上杉攻めのために東国にいた諸武将には動揺が走ります。何せ、武将たちの奥方や跡継ぎらは上方にいます。彼らは人質に取られたも同然。

 

しかし。

 

ここはさすがの家康と側近の知恵者たち。下野国小山で進軍を停止させ、そこで評定を開きます。上方で石田三成らが挙兵したようだが…諸君らはどうする?

 

この小山評定で、三成憎しで固まっていた福島正則らはこのまま家康に付くことを宣言し、ここに初めて「東軍」が結成されるのです。

 

伏見城落城

そしてこの時…西軍の最初の標的にされたのが、伏見城でした。

 

家康はここに、股肱之臣である鳥居元忠を大将とする2000の兵を残していました。

 

なぜ?伏見城に元忠らを残したのか?という疑問もあるようですが、もしも伏見城を空にしていれば、西軍は悠々とこの巨城を占領し、根拠地としたでしょう。

 

伏見城へ元忠らを残したことで、西軍はここを無視できなくなります。こうして…関ヶ原の前哨戦として伏見城の戦いの火蓋が切って落とされるのです。

 

西軍4万近い兵に囲まれ…鳥居元忠らは最後まで玉砕覚悟て奮戦します。しかし衆寡敵せず、結局彼は壮絶な討ち死にをすることになります。

 

鳥居元忠らが奮戦し落城した伏見城。残された床板は、京都の正伝寺や養源院などの天井板へと転用され、「血天井」として残されることになります。彼らの死がなければ…関ヶ原での天下分け目の大合戦には発展しなかったかもしれません。

 

前回です