NHK大河ドラマ『どうする家康』第41話コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。
筆者紹介
こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。
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「もうお会いすることもございますまい」
こうして…時代は次のステージへと進むのです。
ウィリアム・アダムス
今回突如として現れたウィリアム・アダムス。彼はオランダ船に乗っていたイギリス人航海士です。彼の乗っていたリーフデ号は航海途中で難破してしまいますが、彼はその生存者のひとりです。彼の他には、「八重洲」の語源ともなったヤン・ヨーステンも生存者のひとりでした。
これまで日本と貿易をしていたポルトガルやスペインは、旧教(カトリック)国ですが、リーフデ号に乗ってやってきたオランダやイギリスは新教(プロテスタント)国。当時ヨーロッパでは、旧教国と新教国は対立を深めており、日本に置いても無理矢理日本をカトリックに染めようとする旧教国への弾圧が始まっているころでした。
この辺り、西洋史と日本史が交錯するところで非常に面白いですね。
直江状
当時、先祖代々の領国であった越後から会津へ国替えされたばかりの上杉景勝は、五大老のひとりでありながら、いち早く国元へ帰り、領国経営に専念していました。
しかし、それに難癖を付けたのが徳川家康でした。
新城を作り武具を買い集めているという上杉に対し、戦準備をするとはけしからん!と詰問したのです。
それに対し、上杉家の家老・直江兼続は家康を愚弄するかのような書状を出して返答とします。
曰く
・国替したばかりで新城建設は当然
・武具を集めるは武家のならい
・上方では茶器を集めてるんだって?(笑)
・聞くところによると内府さま(家康)が直々に攻めに来るらしいじゃん?
・こちらも全勢力持って受けてたつよ?
…という、甚だ無礼かつ煽りきった内容。これに激怒した(?)家康は、豊臣政権を代表して参戦を呼び掛け、会津征伐の軍を起こすのです。
家康にしてみれば…挙兵してくれるなら儲けもの。燻る反徳川勢力を一気に炙り出し、一網打尽にする寸法だったとも言われています。
鳥居元忠との別れ
上杉征伐へと兵を上げた徳川家康でしたが…上方(京大坂)を完全に留守にする訳には参りません。
彼は、会津征伐に出発するにあたり、伏見城に一部の兵を残してその備えとしました。
もしも、上杉の挙兵に合わせて上方で兵を挙げるものがいたら、真っ先に標的となるのが伏見城でした。
そのため、伏見城には、生け贄となり標的とされるものを残さねばならなかったのです。
白羽の矢が立ったのは、徳川家随一の忠臣・鳥居彦右衛門元忠でした。
彼は、徳川家中でも、井伊直政、本多忠勝、榊原康政に次ぎ、酒井家次や大久保忠世と同格の4万石を下総国矢作に領していました。それだけ家康の信任あつい部下だったのでしょう。
家康が会津征伐に出発すると、予想通りに石田三成らが伏見城へと押し寄せます。鳥居元忠は、はじめから玉砕討ち死にを覚悟して必死の防戦に努めますが…衆寡敵せず。結局伏見城を枕に討ち死にします。
彼が自害した伏見城の床板は、地のついた「血天井」として、京都市内の寺院の天井板などに流用されています。
こうして…いよいよ家康は、天下分け目の決戦『関ヶ原の戦い』へと進んでいくのです。
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