NHK大河ドラマ『どうする家康』第40話コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。
筆者紹介
こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。
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遂に始まった…家康の狸化現象!
これまで、従順で弱気な殿様でしかなかった徳川家康が…晩年になって最後のヴェール脱ぎました。
それが…腹の底で何を考えているのか分からない、狡猾な「狸親父」としての家康です。
豊臣秀吉の死去を受けて…政権は形式上は後継者である秀吉の遺児・秀頼を戴きながらも、その実情は有力大名と実務を担う奉行たちの合議制で政を行う形となりました。
この時、大老とされたの以下の五人です。
これを、五奉行が実務を担う形で担当しました。
石田三成の盟友・大谷吉継は、このころ、持病の癩病(ハンセン病)が悪化し、奉行職を担当できるような状態ではありませんでした。
奉行として、意気揚々と政務を司る石田三成でしたが…彼は、あくまでも実務家であり政治家ではなかった。頭は切れるが実務優先の率直な物言いで敵を無駄に多く作るタイプの人間でした。
そのため、朝鮮で死に物狂いで戦い、ようやく生還してきたかとうきよまさや黒田長政に対して…
「戦のしくじりは不問にいたすゆえ」
などと…暴言とも受け止められ兼ねない発言を平然としてしまったり。それを咎められ詫びるよう申し入れても…
「何故私が詫びを入れる必要があるのでしょう?」
「私は間違ったことはしておりませぬ」
と、自分のやっていることが100%正しいと思っている節がありました。
実直で、トップの手足となって働く時は、これ以上ないくらい優秀な人物だったのでしょうが…そのトップが居なくなった状況では、彼の実務力も空回りせざるを得なかったのでしょうね。
結局…三成がいることで生じた軋轢が、やがて豊臣家を滅亡させる引き金になります。でも…三成にそれを指摘しても「彼らが悪い」ととりつく島もなかったでしょうね、きっと。
こうして…狸化した家康は、厚顔無恥な老人を演じるようになります。晩年の狡猾で怜悧な家康像ですね。
これまで、今川義元、織田信長、豊臣秀吉といった人々の下に付き生きてきた家康。ようやくここで…自らの天下取りに動き出すことになります。その覚悟を決めたのが…今回だったと言えるでしょう。
「修羅の道を…往くことになるぞ」
「どこまでも付き合いまする」
汚名を覚悟の上で、天下取りへと動き出した徳川家康とそれを支える家臣団。次回、遂に天下分け目の大決戦、関ヶ原の戦いへとストーリーは進んでいきます。
そして次回は…家康の天下取りのために、敢えて犠牲になる役目を負う忠臣との…今生の別れがやってきます…!
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