まるでアトラクション!『岐阜関ケ原古戦場記念館』の臨場感溢れる展示にしびれる!
日本史上最大の合戦・関ケ原の戦い。その現場となった関ケ原町は戦国時代マニアにとっての聖地!2020年にオープンした『岐阜関ケ原古戦場記念館』の映像演出は…トリハダが立つレベルのド迫力!
筆者紹介
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こちらの記事は【初夏の京都~名古屋庭園巡り旅行記】からシリーズでお届けしております。
『関ケ原古戦場』の歴史
慶長15年(1600年)旧暦9月15日。戦国時代の行く末を決めた日本史上最大の合戦が行われました。
決戦の場は美濃国関ケ原!現在の岐阜県不破郡関ケ原町に当たります。
ここ関ケ原は、周囲を山に囲まれた小盆地です。その盆地の中央東西を東山道が貫き、北へは北陸へ抜ける北国街道、南へは伊勢街道が交わる十字路という交通の要衝でもあります。
豊臣秀吉の死後、徳川家康は野心を露に次の天下人へと名乗りを挙げます。実はこの時点では、徳川家康も豊臣家の家臣。筆頭大老として、豊臣の後継者・秀頼を支えなければならない立場でした。
しかし!これまで忍耐を続けていた苦労人である家康は、秀吉の死後に定められていた約束事を次々に破り、豊臣政権に揺さぶりをかけます。これは、秀吉の死後の天下を簒奪する姿勢の現れでした。
これに、豊臣政権を支えていた諸大名や奉行たちは反感を持ちます。本来、秀頼様を支えなければならない大老がなんたることか!
しかし、家康も狡猾です。
豊臣政権内には、政治を司る奉行派と、戦場で決死の武者働きをしてきた武断派の対立がありました。
家康は、政権内で冷遇されていた武断派の武将たちを味方につけ、奉行派の石田三成らとの対立を煽ったのです。
こうして…徳川家康率いる東軍7.4万の軍勢と、石田三成率いる8.0万の軍勢…双方合わせて15万を越える軍勢が、ここ関ケ原に終結したのです。まさに時代を変える、天下分け目の戦いでした。
『岐阜関ケ原古戦場記念館』の見どころ
日本史上最大の合戦、関ケ原の戦い。戦国時代の集大成ともいえるこの戦いには、東西合わせて15万人もの軍勢が集結しました。
そんな関ケ原の戦いにフォーカスしたミュージアムが、今回ご紹介する『岐阜関ケ原古戦場記念館』です!
2020年にオープンしたこの施設は、関ケ原の戦いに勝利した徳川家康の本軍陣地の跡地に作られており、5階建ての壮大な資料館になっています。
ここ『岐阜関ケ原古戦場記念館』は、戦国ファンなら誰しもが大興奮間違いなし!
まずは1階エントランスからテンション上がります。コーエーの大人気ゲームシリーズ「信長の野望」で描かれた武将たちのビジュアルがどどーん!と並べられています。こちらは徳川家康率いる東軍の面々!
反対側には、石田三成率いる西軍の面々がズラリ!うーわカッコよ!筆者的には西軍の武将たちの方が魅力なんですよね。
さて、ここ『岐阜関ケ原古戦場記念館』最大の見どころは、入場してすぐのところで鑑賞できるシアター!このシアターが…ほんっっっとうに素晴らしいんです!もう大興奮(笑)
まず入場チケットを購入したら、シアターの整理券を貰えます。シアターは人数に制限があるため再入場ごとに整理券が必要です。この日は20分おきに整理券が配られていました。なお予め到着時間が分かっている場合は予約しておくとスムーズです。
筆者が訪れた日はそれほどの混雑でもありませんでしたが、40分後の回の整理券をいただいて、先に昼食を済ませることにしました。ここ『岐阜関ケ原古戦場記念館』の別館はミュージアムショップ&食堂になっていて、ランチをここでいただくことができます。
メニューがまた面白い!
・武将カレー
・足軽カレー
・西軍うどん
・東軍そば
・小早川の裏切りカルボナーラ
などなど!おっふ…小早川殿。
筆者はシンプルにざるそばをいただきました。このそばが香り高くて美味しかった!
大興奮!リアルな関ケ原シアターへ!
さて…お昼ごはんを食べ終えたころにちょうど整理券の順番がやってきました。まずは…シアターの前室に誘導されますが、ここの演出もまたすごかった!
壁面モニターには、関ケ原の戦いに至るまでの戦国時代の事件合戦が次々に現れては消えていく。こういった歴史上の事件ひとつひとつが…やがて関ケ原で結実するんですもんね。
改めて考えてみると…桶狭間の戦いがなければ織田信長も台頭しないし、本能寺の変がなければ秀吉の天下統一もありません。それらの事実ひとつひとつが積み重なって…天下分け目の大決戦「関ケ原の戦い」へ集約されるのです。
さて…ここ『岐阜関ケ原古戦場記念館』の映像作品は、圧巻の一言です。撮影禁止なので動画画像が提示できないのが歯がゆいくらい!
映像ルームは
①グラウンドビジョン
②4Dシアター
と前後編に分かれています。
前編のグラウンドビジョンでは、足元に写し出された関ケ原の地形図に、東軍西軍で参戦した武将たちが次々に紹介されます。この地図を見ながらの解説が絶妙なんです!関ケ原という閉じられた盆地に数多の武将たちがどのように配置されどのように戦ったかが一目瞭然なんです。
ちなみにこのグラウンドビジョンの解説ナレーターさんは…人気講談師のあの人です。
後半は、円形の壁面360°がモニターとなるシアターへ移動して、関ケ原合戦の様子を臨場感たっぷりの映像&演出で楽しめる形になっています。
このシアターが…迫力満点!関ケ原合戦場のど真ん中に放り込まれたかのような、風の音、銃声、馬のいななき!もうトリハダが止まりません!
およそ25分間に及ぶ映像作品を見終わったあとは、もう半ば放心状態!涙も出そうなくらいの充実感でした。これ、歴史好き戦国好きは絶対行った方がいいですよ!
シアターから出ると…進軍はこちら(笑)
この先は、2階の資料展示室になります。こちらは、関ケ原合戦にだけでなく、前後して全国で行われた諸合戦の資料が集められています。中には武将たちが当日着用していた鎧兜が並び、中には徳川家康や石田三成らの書状など、貴重な資料が展示されています。こちらも残念ながら撮影禁止。
続いて、戦国時代の武具が展示されているスペースへ。実際の槍の長さや火縄銃の重さなんかを、持ち上げて体感することができます。
火縄銃…これかなり重かったです。これを抱えて進軍する兵士たちは…かなり大変だったでしょうね。
続いて最上階の展望台へ。ここからはぐるっと360°関ケ原盆地を展望することができます。
足元には、関ケ原地形図。ここに西軍首脳の石田三成陣、隣に宇喜多秀家陣、あちらに大谷吉継陣…転じてこちらに東軍先方の福島正則陣や黒田長政陣…と、関ケ原に参戦した武将たちの陣が分かりやすく図示されています。
こちらは当方、黒田長政陣や徳川家康が本陣を敷いた地を展望することができます。
ちなみにこの日はちょうどNHK「ブラタモリ」で関ケ原を放送する日でした。タモリさんもこの決戦の地を興味深く散策していましたね。
さて『岐阜関ケ原古戦場記念館』を出てすぐのところには、実際に徳川家康が陣を敷いた本陣跡が残されています。
ここは、小早川秀秋らの寝返りにより選局が東軍有利に一変したあとで家康本軍が進軍してきた場所です。ここで家康は勝利宣言を行ったとされています。
実際に徳川家康、本多忠勝、井伊直政、福島正則、黒田長政など…錚々たる武将たちがこの土を踏んでいると思うと…震えるほどの感動を覚えました。
『岐阜関ケ原古戦場記念館』へのアクセス/駐車場/所要時間
『岐阜関ケ原古戦場記念館』へは、JR東海道本線の関ケ原駅から徒歩圏内でアクセスできます。
実はこの、関ケ原駅から記念館までのアクセスルートが…既に激熱ポイント!関ケ原駅からは、一度線路を渡って北側へ回らねばならないのですが…この跨線橋がスゴいんです!
駅前から、関ケ原の戦いに参戦した武将たちでの格好良いイラストが並び、後半はその武将たちの活躍が時系列に沿ってまるで紙芝居のように描かれています。関ケ原の戦いの流れをご存じの方は…絶対に熱くなりますから、ぜひ歩いてみてください。
お車の方は、名神高速道路の関ケ原ICから5分ほど車を走らせるとアクセスできます。無料駐車場も広く取られていますので、そちらをご利用ください。
『岐阜関ケ原古戦場記念館』の所要時間は90分ほど。映像作品だけで30分ほどかかりますので、ある程度まとまった時間を取って置いた方が良いかと思います。駆け足で見て回れば60分程度で回ることもできますが、戦国ファンでしたら2時間でも3時間でもいられます。何なら、シアター2周したいくらいでした(笑)
【初夏の京都~名古屋庭園巡り旅行記】三日目。この日は京都から滋賀県岐阜県と電車を途中下車しつつ名所巡りをしています。次は関ケ原戦いの際に西軍本拠地となったお城へ向かいます。次回もお楽しみに!
『岐阜関ケ原古戦場記念館』の基本情報
アクセス
営業時間
9:30-17:00
定休日
毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始12/29-1/3
入場料金
一般500円 高校生大学生300円 中学生以下無料
駐車場
無料駐車場あり
アドレス
0584-47-6070