NHK大河ドラマ『どうする家康』第34話コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。
筆者紹介
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石川数正出奔の影響
長らく、徳川家の中枢を担ってきた石川数正。その彼がまさかのライバル・豊臣秀吉の元へ出奔したことで…徳川家中は過去最大の危機を迎えます。
石川数正は、徳川家のNo.2ともいえる存在。機密や軍制など、ありとあらゆる情報を持っている人物です。こんな超重要人物が敵方へ寝返ったとなれば…徳川家中の情報は全て筒抜け。丸裸にされたと言ってもいいでしょう。
言うなれば…プロ野球チームのヘッドコーチと正捕手をライバルチームに引き抜かれたと同じ。本来秘密であるはずのサインなども敵に漏れたということです。
徳川家はこれを機に、これまで石川数正や酒井忠次が担っていた三河式軍制を、新たに家臣団に率いれた旧武田家の遺臣たちに教えを乞うて甲州流に改めます。これはつまり、これまでの指揮系統を根本から一変させ、新たな軍団に仕立て上げるということ。
この事件を受けて、これまでの石川&酒井という指揮系統から、本多忠勝、榊原康政、井伊直政という…若き司令塔たちへと世代交代を果たすのです。
石川数正は、彼が出奔することで、秀吉VS家康の全面対決を防ぐつもりだったのでしょうか?彼はその後、秀吉から重く用いられる…こともなく、10万石クラスの地方大名としてその生涯を終えます。今に残る国宝、信州・松本城は石川数正が築城したもの。彼の真意は何も伝わっていませんが…徳川家が天下を取ったあと、非常に辛い立場に追いやられたであろうことは想像に難くありません。
形式上の正室・旭姫
関白となった豊臣秀吉は、東の脅威となり得る徳川家康を懐柔するために、ありとあらゆる手を用います。
その最たる例が…瀬名姫を失ってから空位のままの「徳川家の正室」を使うことでした。秀吉は、自らの妹・旭姫を、「関白秀吉の妹」という名目で輿入れを申し入れます。この時、旭姫は44歳。当時からして嫁入りには異例の姫でした。しかも旭姫は、もともと嫁入りしていた夫と無理矢理離縁させられてまでの輿入れです。胸中穏やかではなかったでしょう。
しかし…旭姫と婚姻を受け入れた家康は、それでも京に上洛し、秀吉の臣下となる姿勢を見せませんでした。そこで、秀吉は最終手段として…老いた母親(大政所)すらも、旭姫と面会という名目で家康のもとへ送るのです。
母親すらも人質として送られた家康は…ようやくここで重い腰を上げます。この時1586年。秀吉は家康の上洛を持って、東国の安定とみなし、次の一手へと打ってでます。
1587年、九州を席巻していた島津氏を征討するために大軍団を組織し、秀吉の「九州征伐」を開始するのです。秀吉の西への動きは、家康の臣従を待ってから動き出した…とも言えるのです。
なお旭姫はその後、1590年小田原征伐の直前に死去しています。彼女の墓は京都東福寺や駿河瑞龍寺に作られています。
完全なる政略結婚として、秀吉と家康を結びつけるためだけに嫁いできた旭姫。彼女がいなければ…秀吉と家康の冷戦はいつまでの続いていたかもしれません。結果としてその役割は絶大でした。
「ワシは天下を取ることを諦めても良いか?」
今回の話で最も印象的だったセリフがこれ。「家康を天下人とするために!」と必死に支えてきた、本多忠勝、榊原康政、井伊直政ら若手武将たち。
ここで、秀吉に従って上洛することは、秀吉に臣下の礼を取ることであり、家康の天下が遠退くことを意味していました。
主君・家康を押し立てるために働いてきた徳川家臣団。しかし…石川数正の出奔をきっかけに、家康はもうここで折れざるを得ないところまで追い詰められていました。
家康は家臣たちに問います。
「ワシは天下を取ること諦めても…良いか?」
家康はここで苦渋の決断をします。秀吉との全面対決を回避し…臣下の礼を取ることで「徳川家」を存続させることを優先させるのです。
この決断は、結果として吉と出ます。後に、同じように秀吉から上洛を強要された関東の雄・小田原北条氏は、ここで臣従という決断をすることが出来なかったために…やがて領地を失い、宗家をも失うことになるのです。
後に征夷大将軍となり、天下を取ることになる徳川家康。ここで「臣従」という決断ができたことが…家康の強さの秘訣なのかもしれません。
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