NHK大河ドラマ『どうする家康』第29話コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。
筆者紹介
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本能寺の変を切り抜けて…家康の窮地は続きます。
いわゆる「神君伊賀越え」ですね。もしかした、…家康最大の危機、最大の「どうする」だったかもしれません。
元々、伊賀は領主を持たぬ群雄割拠の地。本来、東大寺や興福寺など奈良の寺社の荘園が多く、統一政権が立っていない土地でした。それがさらに、織田信長による征服作戦「天正伊賀の乱」にて織田軍団に滅茶苦茶にされたばかりの時分でした。なんと600もの砦がひしめく修羅の地!
そして、伊賀といえばやはり「忍者」の地。武者働きとは一味違う、忍び働きをする影者たちが支配する土地です。家康一行は、そんな修羅の地を抜けて伊勢湾に出ることを至上命題として、決死の逃避行を進むのです。
最終的に、家康一行は伊賀を抜けて伊勢湾に出て、白子浜から船で三河へと帰還することになりますが…それに至るまで幾多の困難を越えたことでしょう。現に、家康と同行していた武田遺臣の穴山梅雪は、伊賀の山中で武者狩りに遭い、その命を落としています。
その経過は詳しく伝わってはいませんが、家康家中には服部半蔵をはじめとした多くの伊賀者が抱えられていました。その縁故を頼ったとも…追放されていた本多正信が突如帰還し、その知恵で困難を突破したと言われています。
ともかく…どうにか伊勢湾にまでたどり着いた家康。引き連れていた重臣たちも誰一人命を落とすことなく伊賀を抜けることができたのは、まさに奇跡的だったことでしょう。
この危機を乗り越えた家康は…次のライバル、羽柴秀吉のちの豊臣秀吉との天下取りレースを争うことになります。
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