NHK大河ドラマ『どうする家康』第28話コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。
筆者紹介
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ついにこの日が描かれました…戦国時代最大の事件「本能寺の変」です。
これまで、様々な形で描かれてきた「本能寺の変」ですが、今作『どうする家康』ではどのように描くのか…放送前から注目を集めていましたね。
なにせ、これまでの定説とは異なり、家康自身が「信長を討つ」「天下を獲る」と家臣たちの前で宣言していましたし、実際に信長と面と向かって「お主を殺す」と発言していますから…いったいどのように整合性を取るつもりなのか…?
今回、家康は、自らの手の者(伊賀者)で信長を討つ算段を万全に整えていました。変の直前まで、本気で信長の首を獲ろうとしていたのです。後は、家康の命令が下れば、一気に家康の手勢が本能寺へと雪崩れ込む算段でした。
しかし…結局、今作の家康らしく…決断することができずに朝を迎えてしまいました。家康の手による暗殺は失敗に終わったのです。
信長にとって、家康は生涯唯一の友。彼に殺されるなら本望と、覚悟を決めて本能寺に入ったよう描かれました。
が。
いざ攻め寄せてきたのは、予想外の明智光秀の手の者。家康に討たれる想定で手勢わずか100人ほどしか連れて来なかった信長の虚をつき、まんまと明智光秀は謀反を完成させるのです。
それにしても…今回はちょっと無理のある脚本だったように思えます。
信長が、家康に討たれることを想定していたのならば…なぜそもそも家康の正室・築山殿と嫡男・信康を死に追いやったのか?家康のことを生涯の友と思っていたのならば…もっと別の方法があったはず。
また、家康の手で信長を討ち取った場合の…その後の算段を、家康は建てていたのでしょうか?
わずかな手勢を連れて堺見物に出ていた家康。もしも家康が決断して、信長を討ち取っていれば…大義名分を掲げなければ逆賊として人望は地に落ちます。これは、まさに明智光秀がたどった道です。
家康は…わずかな手勢を連れた堺で、信長を討ち天下を奪った大発表をするつもりだったのか?なぜそもそも堺に行かねばならなかったのか?少々腑に落ちません。
ともかく…本能寺の変が起きたことで、家康は人生最大の危機を迎えます。次回、いわゆる『神君伊賀越え』が描かれます!
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