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NHK大河ドラマ【どうする家康】第27話コラム 『安土城の決闘』

NHK大河ドラマ『どうする家康』第27話コラム

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こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均35泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。

 

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こちらは毎週日曜日にお届けする【NHK大河ドラマ『どうする家康』コラム】の記事をお届けしています。


 

いやあ…まさに「決闘」でしたね。本音をぶつけ合う信長と家康。直接刀で切り合うことはありませんでしたが…精神的にはバチバチ

 

「信長を殺す」「天下を取る」

 

ついに宣言した家康。しかも…

 

「信長を…本能寺で討つ」

 

まさか本能寺という単語まで飛び出してくるとは!これは…家康黒幕説を取る脚本となること間違いなしでしょうか。

 

さて、冒頭で出てきた、家康の二人の息子。

 

長丸

福松

 

二人はお愛の方が産んだ子供たちです。家康にとっては三男と四男になりますね。

 

三男の長丸は、1579年生まれなので、この段階で3才

四男の福松は、1580年生まれなので、この段階で2才

 

彼らは長じて、秀忠(長丸)、忠吉(福松)と名を変えます。

 

長丸はやがて二代将軍となる人物ですし、福松は、天下分け目の大合戦「関ヶ原の戦い」で戦陣の火蓋を切った人物です。意外とこの二人は1才しか年齢が変わらないのですね。

 

さて…武田を滅ぼした織田信長徳川家康。長年の仇敵を滅ぼしたことで、得意満面となっていた両者。もはや天下は我らのもの…と余裕綽々と思いきや、両者の心には闇が潜んでいました。

 

家康は、正妻・築山殿と嫡子・信康を失った恨みを抱えていました。そして、その恨みを晴らさんと…信長の命を密かに狙っていたのです。

 

この時点で、信長の重臣たちは軍団を率いて各地に散っていました。羽柴秀吉は西国の毛利輝元と対峙し、柴田勝家は北国の上杉景勝を攻めている最中、また丹羽長秀は四国の長曽我部攻めを命じられ軍団を編成しているところでした。

 

信長の武将で、側近く仕えているのは明智光秀ただひとり。

 

そんな明智光秀を、謀略により失脚させた家康は、ただひとり信長に呼ばれ、安土城にて信長と対面します。

 

築山事件のあと、腹の底を見せなくなっていた家康を、信長もまた疑っていました。

 

家康と二人きりで対面した信長は、はじめてその胸中を吐き出します。

 

「儂は誰かに殺される、無惨に」

 

信長も自分自身で分かっていたのでしょうか。立ち塞がる敵をひとつひとつ撃滅していくやり方では、時間がかかりすぎるし、恨みも募りすぎる。

 

「戦無き世の政は乱世を治めるよりも遥かに困難だ、お前には無理だ。俺の側で俺を支えろ」

 

信長はこの乱世を終わらせた後の統治も考えていたようです。いったん力で押さえつけて乱世を終わらし、その後で太平の世を創る。

 

しかし…それを行うには、信長はヘイトを集めすぎました。

 

「儂は儂のやり方で世を治める」

 

家康は、正直にこう答えます。これは、もう訣別宣言に近い。

 

結局、信長にとって、自らの本心を吐露できるのは、家康だけだったのかもしれません。

 

家康は京都に先行し、本能寺にやってくる信長を、伊賀者中心の強襲隊を用意して待ち受けます。

 

信長もそれを受ける覚悟で…わずか100ばかりの手勢だけを連れて京都に入ります。

 

まさにオオカミとウサギの化かし合いかチキンレースか。

 

次回、戦国の世が大きく動く日。天正10年6月2日…本能寺の変を迎えます。

 

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