NHK大河ドラマ『どうする家康』第25話コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。
筆者紹介
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ついに…家康の人生最大の「どうする」の日がやって来てしまいました。
今川時代から連れ添った正室・瀬名姫(築山殿)と、将来を期待されていた嫡男・信康を失った「築山事件」。この事件は、家康が天下人となるギリギリのところで「信康が存命であれば…」と嘆かせるほどの痛恨事でした。
通説では、家康と不仲であり悪女であったとされる背姫。今作では、瀬名は従来とは異なり、聖女のように描かれましたので…この築山事件をどのように取り扱うのか非常に興味深いものでした。
結局…信康は母ひとり逝かせぬと自刃。瀬名姫も自ら説得にきた家康本人にも応じずに死を選択します。
服部半蔵らによる替え玉すり替え作戦も、本人たちの拒絶もあり失敗に終わることになりました。
この時、服部半蔵が漏らした「今は身を隠し、いずれ世が変われば、また新しい人生を送れるはず」というセリフは、この事件の3年後に「本能寺の変」で信長が死ぬことを考えると…歴史の悲しさがありますね。
今作では結局、瀬名姫も共に自ら命を絶つというストーリーで描きました。
しかし…この別れのシーンは、いかがなものでしょうか。あの場にいたのは、本多忠勝をはじめとした屈強な男たち。男の信康とは異なり、無理矢理にでも瀬名姫の身柄を拘束してしまえば良かった話。どうとでもできたはずです。
後世言われているような瀬名姫悪人説を取らず、聖女のまま彼女を退場させるのは、難しい脚本だとは思います。
しかし…もしそうしたいのであれば、あの場に家康が居てはいけない。家康とあの場で対面する感動的なシーンを演出したかったのでしょうが…あまりにも都合が良すぎる。せっかく対面しておきながら、自害しようとする瀬名姫を置き去りにして船を出すなど…辻褄があいません。家康さん、何しに来たの?
史実とは異なり、瀬名姫も信康も隠れて生き延びるストーリーなら、まだフィクションとして見れました。が、どうも中途半端な史実と虚実を織り混ぜた脚本に…少々モヤっとしています。
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