古代日本の国境線!ここから先は…蝦夷の国!『白河の関』は古代ロマンの地!
古代、東北一帯は「陸奥(みちのく)」と称され、ヤマト朝廷の支配が及んでいないエリアでした。「陸奥」は、蝦夷と呼ばれた野蛮な異民族の支配する地。ヤマト朝廷は、そんな彼らを恐れ討伐し…その境界線に関所を設けて、北からの脅威に備えていました。その最前線がここ…『白河の関』です。
筆者紹介
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『白河の関』とは
奥州三古関のひとつに数えられる「白河関」。奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、当時は人や物資の往来を取りしまる機能を果たしていたと考えられています。
やがて律令制の衰退とともにその機能を失ってからは、都の文化人たちの憧れの地となり、"和歌の名所(歌枕)″として知られるようになりました。この地を訪れた代表的な歌人・俳人は、能因や西行、松尾芭蕉など、みな時代を代表する文化人たちです。
また、関跡には、源義経にまつわる伝説が残され、樹齢約800年の従二位の杉など、数々の巨木もあり、歴史の深さを感じさせます。
「陸奥(みちのく)」への境界線には、3つの関所が作られていました。
これより北は蝦夷の支配する異民族の土地。北から迫る脅威に備える、絶対防衛線として作られたのが、これら3つの関所です。
このうち、最大の関所であり、陸奥(みちのく)への出入口の象徴とされたのが、この『白河の関』です。
『白河の関』へのアクセス/駐車場
お車の場合は、東北自動車道の白河ICからおよそ30分ほど。すぐ近くに10台ほど駐車できる無料駐車場もあります。満車の場合は、徒歩圏内にある「白河関の森公園」には大駐車場も完備されています。
公共交通機関ご利用の場合は、JR東北本線の白河駅、もしくは東北新幹線の新白河駅から路線バス利用でおよそ30分でたどり着きます。
『白河の関』の見どころ
『白河の関』は、古代ヤマト朝廷と「陸奥(みちのく)」の境界線の象徴とも言える場所でした。
かつて古代世界では、この関所より南はヤマト朝廷の勢力圏内。しかし、これより北は蝦夷が支配する野蛮な世界。この関所を越えることの意味は…現在でいう未開の国境を越えることと同義だったのです!
そんな国境線の象徴だったのがここ『白河の関』。西日本に住む貴族たちにとって、この地は、遥か遠くの旅情を誘う歌枕の地でもありました。西行や松尾芭蕉をはじめとした文化人たちは、この地を訪れ、その感慨に耽ったことでしょう。それくらい、ここ『白河の関』を越えることは、大きな意味合いがあったのです。
現在、この『白河の関』跡地には「白河神社」が建てられています。本殿は、伊達政宗が再建したものと伝わっています。素朴な雰囲気の本殿ですが、しっかり風格のある建物になっていますね。
2022年夏、仙台育英高校が東北勢として初めて甲子園優勝を果たしました。この優勝は、それまで、「優勝旗が白河の関を越えたことがない」とされていた歴史を覆した快挙でした!ここでも、「白河の関」が東北全体の象徴として使われているのが面白いですね。
なおこの優勝の瞬間は、地元仙台のみならず、ここ『白河の関』でもパブリックビューイングが行われたようですよ!仙台育英の快挙以来、ここ「白河神社」への参拝者も増えているそうです!
実は江戸時代の中頃まで『白河の関』は忘れられ、正確な場所がどこか分からなくなっていたようです。それもそのはず。ヤマトの北進に伴って、この地は国境ではなくなり、出入りを監視する役所としての機能も長らく失われてしまったからです。
江戸時代の白河藩主・松平定信が藩内を発掘調査させた結果、この「白河神社」の鎮座していた地こそが『白河の関』である可能性が高いと比定したことで、現在まで復元保存がなされているようです。
ここはあくまでも「関所」ですが、本来は外敵との境界線。空堀等も整備された、本格的な防御施設という意味合いもあったようですね。
ここは「白河神社」の森へ至る小道ですが…もしかしたらこの道が、かつての旧街道だったかもしれません。この道を、源義経など、歴史の世界の人々が歩いたと思うと…感慨深い!まさに古代ロマンの聖地ですね。
ちなみに、この森の傍らには、誰も見向きもしないような小川が横切っています。実はこの川こそが「白川(白河)」!
「白河」という地名の由来ともなったのがこの川で、白川(河)を境にした関所を『白河の関』と名付けられたのでしょう!古代、この川を越える意味は、現代では想像もつかないほど大きなものだったはずです。
ところで、『白河の関』って…具体的にどこにあるかご存知ですか?関東と東北を隔てる関所ですから…主要国道、現在の国道4号線(奥州街道)沿いにでもあるものだと…ふつう思うじゃないですか。
しかし、こちらの地図を見ていただければ分かるように、『白河の関』があるのは国道4号線からはゆうに15kmは離れていますし、旧奥州街道と呼ばれる国道294号線からも5km以上離れています。目の前を通る県道76号線が、かつての主要街道(旧旧奥州街道)だったのでしょうが、あまりにも東へ片寄りすぎているような?
現在でこそ、栃木県→福島県と進む奥州街道(国道4号線)がメインルートになっていますが、その昔東北地方は、陸奥国が建てられる直前まで「常陸国」の領域に含まれていました。当時は、茨城県側から福島県へ入る、現在のJR水郡線に沿った道がメインルートだったのかもしれません。
正確な場所も含めて謎が多い『白河の関』。…ですが、ここ白河の地は、かつてヤマトと蝦夷を分ける境界線が存在していた場所です。かつて古代人たちは、命の危険を感じながらもこの国境線を越えたのです。
これより北は「陸奥(みちのく)」。もしかしたら、震えながら関所を越えていたのかも…しれません。
いかがでしたか?古代ロマン溢れるスポット『白河の関』!少々地味に感じられる場所ですが、歴史的意義を知っていると、その重要性を重く感じられるはずです!
【秋の那須温泉&岳温泉旅行記】この後、筆者一行は『白河の関』を離れ、隣町棚倉へ移動、元奥州一宮とされる神社へ向かいます!次回もお楽しみに!
『白河の関』の基本情報
アクセス
東北自動車道 白河ICより30分
営業時間
24時間見学自由
定休日
年中無休
入場料金
入場無料
駐車場
観光用無料駐車場あり
アドレス
0248-32-2921