日本全国には47の都道府県があります。そして、その47の都道府県は各々いくつかの県と境を接しています。その総数はなんと92県境!
この全国92もある県境のうち、その大多数である9割以上の県境は、道路で繋がっており、さらにそのほとんどは、鉄道路線でも繋がっています。
しかし…調べてみると面白いもので、この全国各地にある92の県境のうち、鉄道でも自動車道路でも繋がっていない県境が、なんと2つだけ存在するのです!
ひとつが、前回ご紹介した「富山-長野県境」。峻険な北アルプスを越えなければならないため、鉄道はおろか、一本の自動車道路のすら走っていません。※トロリーバスのみ通行可能
ただし、この県境には「立山黒部アルペンルート」という山岳観光ルートが貫いています。そのため、トロリーバスやケーブルカー、ロープウェイなどを乗り継いで、一般観光客でも県境を越えることは可能です。
しかし!
あるんですよ!これを越える最難関の県境が!
それが、『福島-群馬県境』!!日本最難クラスの県境越えスポットがここです!
なにせ…ここには鉄道も自動車道路も、ロープウェイ他の乗り物も、なに一つありませんから!この『福島-群馬県境』を越える唯一の手段が…
徒歩!!!
え。嘘でしょ。歩いて越えるしかないの?いま…令和だよ?
そうなんです。この福島県と群馬県の間の県境には、鉄道はおろか、自動車が通れるような道路すら整備されていないんです!
その理由がこれ!この両県の県境域には、「尾瀬国立公園」が広がっているんです。
上記の地図を良く見ると群馬県側から、一本の国道が福島県側に向かって延びているのが分かるかと思います。また、福島県側からも県道が南へ向かって伸びているのが分かりますよね?本来の計画では、この両者を「国道401号線」として繋げる計画があったんです!
この「国道401号線」は、昭和に入ってから、群馬県と福島県の県境を越えるために整備された国道です。元々は戦国時代末期に、沼田領主・真田信之が会津領主・上杉景勝との連絡のために作った「沼田街道」と言われています。
この国道401号線は、群馬県沼田市から福島県会津若松市を結ぶという長大な計画でした。
しかし、この区間に国道を通すためには、ある場所を通り抜ける必要があります。
それが、ここ!
国道401号線の開通は、すなわち尾瀬ヶ原に国道を通すという壮大な計画でした。
しかし、ここで立ち上がった人間がいます。
長らく尾瀬で自然環境を守ってきた平野長蔵、長英、長靖の一族です。
昭和40年代に、国内のレジャー開発の波に乗って建てられた尾瀬縦貫道路計画。古来からある「沼田街道」を拡充し、尾瀬を貫き会津まで抜けるという国道計画です。
この道路が作られれば、群馬県と福島県の交通は飛躍的に向上します。
だがしかし、道路建設と引き換えに…尾瀬の豊かな自然は失われることになります。
昭和46年、尾瀬の長蔵小屋の主人であった平野長靖は、鳩待峠から尾瀬ヶ原ギリギリまで迫る工事を見て、当時の環境庁長官・大石武一に直談判を行います。
談判を受けた大石長官もさるもので、彼は実際に現地を足を運んで尾瀬の開発環境を視察し、即座に建設中止を決断。建設推進派の田中角栄をはじめ、群馬、新潟、福島三県知事を向こうに回して正式に建設中止を確定しました。
その結果が…現在の『福島-群馬県境』!鉄道はおろか、一本の自動車道すら通っていない、日本でただひとつしかない、徒歩でしか越えられない特殊な県境が生まれたのです!
この『福島-群馬県境』を越えるには、自動車も鉄道もその他乗り物は一切存在していません。現在もここは徒歩で越えるしかありません。
便利さと引き換えに守られ、現在も豊かな生態系が保護されている尾瀬の大自然。
それは尾瀬を守るために戦った先人たちの戦いの証!人知れず戦った、彼ら偉人たちの奮闘によって尾瀬の大自然は、現在も姿を変えずに我々を迎えてくれるのです!
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