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【鎌倉殿の13人】ざっくりコラム 第36話 坂東武士の鑑!畠山重忠の生き様!

こんばんは!旅人サイファです!

本日もNHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】ざっくりコラム最速でをお届けします。

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いや…まさかこんな展開になるとは!

 

謀反の疑いをかけられ、華々しく散った畠山重忠。坂東武士の鑑とも言われた、鎌倉方屈指の勇将が…討ち取られました。

 

鎌倉へ進軍する畠山勢を前にして、まずは人質として息子を捕らえ交渉材料としようと企んだ北条時政でしたが、結局その息子も殺害してしまい、交渉は断絶してしまいます。

 

こうなってしまっては、もう全面対決は不可避。和田義盛や小四郎らが、どうにか開戦を回避しようと画策しますが…時すでに遅し。

 

畠山勢はわずか140-150騎、対する鎌倉勢は1万を超える兵を集めたといいます。

 

決戦の場は現在の横浜市旭区二俣川。神奈川県民にはお馴染みの、運転免許センターがあるあの辺りです。

 

他の鎌倉御家人たちにも人望が高かった畠山重忠の討伐は、執権・北条時政へ批判を招きます。そしてこの事件が…彼の命運を尽きることになるのです。

 

「政ごとを正しく行えない人間が上に立つ。これはあってはならないこと。」

「これまでと同じことを…するだけです。」

 

義時はこの時点で父を見限る覚悟を決めたようです。

 

頼朝ともに作り上げた、坂東武士たちの楽園を永らえるためには、もはや父・時政と継母・りくは害悪以外何物でもない。その覚悟を、尼御台・政子にも求めたのです。

 

そして、滅びゆく畠山重忠の姿勢も見事なものでした。

 

交渉にきた和田義盛に対して、義忠はこう言い放ちます。

 

「自棄ではない。筋を通すだけです。」

「今の鎌倉は北条のやりたい放題。」

 

もとはと言えば、執権・北条時政による武蔵国の私有化。この横暴な措置は、言ってみれば鎌倉政権樹立前の、平氏による専横と何ら変わりません。

 

「全ては父上に政ごとから下りていただくための第一歩。」

「小四郎…恐ろしい人になりました。」

 

後世では「北条義時」として知られる小四郎ですが、この時代の名乗りはあくまでも「江間小四郎義時」。この時点では、北条宗家の分家にすぎず、伊豆の地方小領主でしかありません。

 

畠山の乱の後、父・時政を追放するというクーデターを起こすことで、小四郎は北条の宗家を継承することになるのです。

 

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