島原の乱のもうひとつの現場!天草の美しい海を一望する『富岡城跡』の絶景!
日本で6番目に大きい島である天草下島。その北西部に、歴史的大事件の現場となった城跡があるのをご存知でしたか?
こんにちは!こちらの記事は、全国の隠れた名所を訪れ紹介している、旅行プランナー/旅行ブロガーの「旅人サイファ」が執筆しています。こちらは6月に訪れた九州旅行の記録を【西九州ドライブ旅行記】としてまとめてお届けしています。
富岡城跡の歴史
島原・天草の乱
1637年12月、天草の領主・寺沢堅高による苛烈な重税とキリスト教弾圧を堪りかねていた天草の領民が蜂起しました。同じく領主に反乱を起こしていた島原の領民と呼応して、天草四郎時貞を盟主として蹶起したのです。
富岡城代の三宅藤兵衛(明智光秀の重臣・明智秀満の息子)は、藩兵を率いて本渡へ出陣しますが、数に勝る一揆勢による猛攻の末、討ち死にします。
天草の一揆軍は、そのまま天草支配の中心地・富岡城を目指しましたが、天険による城郭の守りは固く撤退せざるを得ませんでした。
ここ『富岡城跡』は、かつて島原支配の拠点でした。
天草地方は、1600年まで、キリシタン大名として知られる小西行長の領地でした。しかし、関ヶ原の戦いで西軍に属した小西行長は、戦後捕らえられ斬首。その後の天草地方は、肥前唐津藩の寺沢広高に与えられ、唐津藩の飛び地とされます。この際に、天草地方支配の拠点として作られたのが、ここ『富岡城』でした。
唐津藩主・寺沢広高、堅高親子は、天草に対し過酷な支配を実行したと言われています。実際の石高以上の過酷な年貢の取り立てをおこなったことで、帰農していた旧小西浪人や旧地侍たち(元武士)の強烈な不満を招いたとも言われています。
彼ら、元武士たちの指導のもと、武器を集め組織化した天草の一揆勢は、日本最後の一揆として島原の乱へと突入していくのです。
富岡城跡へのアクセス/駐車場
『富岡城跡』には、現在富岡城ビジターセンターが建てられています。天草には電車路線がないため、移動は車(マイカー/レンタカー)か路線バスを乗り継ぐ形になります。
マイカーの場合は、天草の入口である三角からおよそ120分、天草の中心地・本渡からですと45分ほどで到着します。
本丸跡には現在、「富岡ビジターセンター」が建てられています。その標識に従って走らせれば、山の上の本丸跡まで上がることができます。もちろん山上に無料の駐車場も完備されていますので安心ですね。
路線バスの場合は、本渡中心部にある「本渡バスセンター」から「富岡港」までおよそ55分。バス停からは「富岡ビジターセンター」まで徒歩20分ほどの山登りが必要です。
富岡城跡の見どころ
『富岡城』は、天草下島の北西に突き出た半島部に作られた堅城です。最大の見どころは山頂の本丸跡からの大眺望!天草の美しい風景を一望できます。また、対岸の島原や雲仙岳、長崎までもが手に届きそうな距離で見てとることができます。
かつてここは、天草地方を支配した圧政の象徴だったことでしょう。
現在は、本丸や二の丸部分には高麗門や城壁、そして石垣が復元されています。往時の姿を偲ばせています。
「富岡ビジターセンター」の内部は資料館になっており、島原・天草の乱の資料なども豊富に展示されています。天草の歴史を知るには最適なスポットですので、ぜひどうぞ!
6月に訪れた【西九州ドライブ旅行記】も二日目。この日も天草の絶景の中をドライブしました。この後は、天草随一の人気スポット、イルカウォッチングクルーズへ立ち寄ります。次回もお楽しみに!
富岡城跡/富岡ビジターセンター
アクセス
熊本市中心部より車で160分
天草市本渡より45分
営業時間
9:00-17:00
定休日
毎週水曜日
入場料金
無料
駐車場
無料駐車場あり
アドレス
0969-35-0170
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