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【鎌倉殿の13人】ざっくりコラム 第33話 あまりに歪な代替わり

こんばんは!旅人サイファです!

本日もNHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】ざっくりコラム最速でをお届けします。

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1203年に三代目鎌倉殿となった実朝。この代替わりを取り仕切ったのが、執権別当となった北条時政でした。

 

執権別当とは、この時に初めて使われた御家人たちのトップ。比企を滅亡させた北条にもはや敵はなし。その専横が目に余るようになりました。

 

北条時政は、比企亡きあとの武蔵国すらも我が物にしようと、朝廷より武蔵の正統な領主「武蔵守」として叙任して貰えるよう画策を行います。

 

この目に余る謀略は結果として…娘婿であり、強力な後援者であった畠山重忠の反目へも繋がる悪手でした。畠山は代々武蔵国秩父を領する武士。この時代、武蔵国では比企に次ぐ実力者でした。

 

もしも北条時政がもう少し配慮できる人物であれば…身内でもある畠山の身が立つよう処遇を行えば、その勢力も磐石であったかもしれません。しかし…私利私欲に走る北条時政は、武蔵国を自ら横領することで、畠山すらも離反に追いやることになるのです。

 

さて、こうして三代目鎌倉殿となった実朝、今回の話で和歌を嗜む様子が描かれていました。実は彼は和歌の名手であり、彼の歌は、かの百人一首のひとつとして収録されていることをご存じでしたか?

 

鎌倉右大臣(93番) 

『新勅撰集』羈旅・525

 

世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ

海人の小舟の 綱手かなしも

 

もしかしたら実朝は、武家の棟梁・鎌倉三代目征夷大将軍としてよりも…文化人として生きる方が、彼にとっては向いていたかもしれませんね。

 

さて、その実朝に鎌倉殿の座を取って変わられた、兄の頼家。幽閉されていた伊豆修善寺で、北条の発した手の者によって暗殺されます。

 

最終的に手を下したのは、善児とその弟子トウ。

 

トウを育て、さらに頼家の子・一幡と過ごした日が、アサシン・善児の運命を変えたようです。

 

それまでは、冷酷に任務を遂行していた善児。しかし、修善寺の現場で、頼家が一幡を供養していた痕跡を見た善児は暗殺に徹することができませんでした。

 

結果、頼家からの反撃をくらい、致命傷を負った善児。最終的に、頼家と善児二人を葬ったのは、トウでした。トウ自身も、範頼暗殺の現場で父母を善次に殺されています。トウにとっては、育ての親でありながら、実親の敵でもあった善児。

 

育ての親であり師匠でもあった善児にとどめをさしたトウは、何を思ったことでしょう。

 

架空のキャラクターながら、断トツの存在感で異彩を放っていた歴戦の暗殺者・善児はここで退場になるようです。

 

彼の退場は…小四郎にとってどんな意味を持つのか。もしかしたら…小四郎自身も役割とポジションを変える分岐点になるのかもしれませんね。

 

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