本日放送のNHK大河ドラマ『青天を衝け』ざっくりコラムです。
明治末期。日露戦争に勝利(かどうかは微妙ですが)した日本に対して、アメリカでは日本人に対する脅威を感じる機運が高まっていました。
日露戦争における日本海海戦での日本海軍の圧倒的勝利によって、アメリカを凌駕する海軍力を備えていることを思い知ったこと、そしてアメリカ西海岸で徐々にその勢力を増す日本人移民団への脅威、このふたつがその要因です。
日本の海軍力への脅威は、やがてワシントン軍縮会議によって日本海軍の増強を抑制することに成功します。
一方、日本人移民団はその勤勉さによって勢力を伸ばし、徐々にアメリカ人たちの職を圧迫していきます。これは悪意があった訳ではなく、ただひたすらに労働に励んだ結果でしたが…現地のアメリカ人たちからは、日本人への悪感情が昂ることになりました。
こんな時代に、アメリカとの緊張を解くべく渡海した渋沢栄一。特に排日運動の激しかったカリフォルニアの地で日本人とアメリカ人の融和友好を解く「NO!WAR!」の演説をしました。
争うのではなく、友好的に切磋琢磨することでお互いを高めていこう、と。
…しかしこの思想は、現地のアメリカ人たちに心底理解されることもなく、やがて排日移民法の成立、そして太平洋戦争へ繋がる反日感情の基盤となっていきます。
そして、渋沢家の内部にも火種は燻っていました。
長男の篤二は、精力的に栄一の事業を手伝っていましたが、偉大なる父と比べられるプレッシャーもあったのでしょう。やがて放蕩生活に身を落としていくことになります。
業を煮やした栄一は、本来の跡継ぎであった篤二を追放(廃嫡)。そして、篤二の息子であった孫の敬三を跡継ぎに据えることを決めます。
劇中にも描かれていましたが、まだ10代の学生だった敬三に、床に頭を押し付けて跡継ぎになることを願った逸話は実話のようです。それだけ、篤二廃嫡のダメージと敬三への期待は大きかったのでしょう。
渋沢敬三は、やがて栄一の跡を継ぎ、実業界でその手腕を発揮すると智に、終戦直後に成立した幣原内閣で大蔵大臣を務め、戦後経済界の舵取りという、重大な任務を背負うことになります。
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