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八幡宮発祥の地!?対馬一宮『海神神社』へご挨拶!聖域に佇む古社!【対馬壱岐旅行記】対馬編⑤

こんにちは!旅人サイファです。

今年の夏休みに出掛けた【対馬壱岐旅行記】から、本日は対馬国の一宮さん『海神神社(かいじんじんじゃ)』をご紹介します。

 

対馬は離島でありながら、古代から1つの国(旧国)として成立していました。

全国に多々ある離島のうち国とされていたのは、対馬の他には壱岐隠岐、淡路、佐渡の全部で5つだけ。

それだけ、重要な島と位置付けられていた証拠かもしれませんよね。

※古代の一時、種子島も国に昇格していた時期もありました

 

そして一宮とは、その旧国においての神社格式ランキングトップの社。

つまり、対馬にあるたくさんの神社の中でも一番神位格式が高いとされるのがこちら『海神神社』さんなのです。(旧国によって様々ではありますけどね)
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対馬中部の西海岸。峰町木坂集落の奥に『海神神社』は鎮座しています。

ここ木坂集落は穢れを遺棄する文化が強いそうで、子供が産まれる際は集落から川を挟んで離れたところに産屋を作って隔離したり、集落内にお墓を作らなかったり…と特に産穢や死穢を忌み嫌ったと伝わっています。それだけ、ここ『海神神社』の鎮座する山(伊豆山)は聖域なんでしょうね。


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ご祭神は、はじめ八幡大神でしたが、明治になってから豊玉姫に変わったそうです。

社伝によると、三韓征伐を終えた神功皇后が、朝鮮半島から持ち帰った八本の旗をここに奉納したのが始まりとか…。

八本の旗(幡)、つまり「八幡(はちまん)」!まさか「八幡」という言葉のルーツがここ対馬の『海神神社』にあった!?一時こちらは『八幡本宮』を名乗っていたこともあったとか?

 

ちなみに「八幡大神」とは別名・誉田別尊神功皇后の子供で後の15代天皇となる「応神天皇」とされています。

一般的には大分県の「宇佐神宮」が八幡神社の総本社とされていますが…元々はここ対馬から九州へ渡ったものかもしれませんね。


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さて、里に面した一の鳥居をくぐると、参道は緩やかに登っていきます。

山への登り口近くになるとこの二の鳥居が見えてきます。


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ここから、少々きつい登り坂が始まります。ここ『海神神社』周囲の森は、社叢として管理され、古来一度も木々に斧を入れていないとか。

そのため、手付かずの原生林が残り今は野鳥の森としても保護されているようです。神聖な山、神聖な森なんですね。まさに聖域!


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さて、息を切らし何度か九十九折を登り返していると、三の鳥居が見えてきました。ここまで来ればあと少し。一礼して鳥居をくぐります。

ここ三の鳥居に掲げられた額、海の漢字が特殊ですね。毎の下に水。古字でしょうか?


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さて、この鳥居を抜ければ本殿です。


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登りきった先に…立派な社殿が見えてきました。こちらが『海神神社』の拝殿ですね。


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拝殿まで登ってきましたが…これがまた広い!

賽銭箱がここにあるので奥まで行くのは遠慮しましたが、もしかしたらかつては対馬藩主はじめ島中の人が集まっていたのかもしれませんね。

こちらで二礼二拍手一礼。ご挨拶と旅の安全を祈願します。


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側面に回ってみました。奥に見えるのが本殿ですね。

屋根の千木が何本か倒れていて痛々しい…。なかなか手入れするのも大変なのでしょうね。

 

ここ『海神神社』は一説には三重県伊勢神宮と同緯度とか!

春分の日秋分の日(昼と夜の時間が等しくなる日)は、伊勢神宮から日が昇り、淡路島の伊弉諾神宮を通って、ここ対馬の『海神神社』に日が落ちるとか。

まさにレイライン直下に位置するパワースポットとも言えそうです!


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こちらには八幡大神の木像や、新羅時代の仏像などの文化財も所蔵しています。

この新羅仏は、数年前に韓国人グループに盗難されたもののうちの一体。

その後韓国当局より返却され、こちらにまたこちらに戻ってきたものです。この日は、宝物殿は閉鎖していました。残念!

 

いかがでしたか?対馬一宮『海神神社』。

博多でお参りした「住吉神社」と同じく、こちらの神社にも見え隠れする、神功皇后と海の神様の関係。…謎が深まりますね。

 

追記

八幡という言葉の由来を調べていたところ…面白い記事にぶつかりました。

神功皇后三韓征伐(新羅出征)の往復路で対馬に寄った際には祭壇に八つの旗を祀り、また応神天皇が降誕した際に家屋の上に八つの旗がひらめいたとされる。

ふむ。やはり八幡は応神天皇を示す暗喩か。対馬応神天皇との間には何か関連がある…?

 

八幡神は北九州の豪族宇佐国造宇佐氏の氏神として宇佐神宮に祀られていたが、数々の奇端を現して大和朝廷の守護神とされた。歴史的には、託宣をよくする神としても知られる。

748年(天平20)9月1日、八幡神は出自に関して「古へ吾れは震旦国(中国)の霊神なりしが、今は日域(日本国)鎮守の大神なり」(『宇佐託宣集』巻二、巻六)と託宣している。しかし、「逸文」『豊前国風土記』に、「昔、新羅国の神、自ら度り到来して、此の河原(香春=宇佐?)に住むり」とある。

!!

八幡に象徴される応神天皇は、朝鮮半島対馬を経て→宇佐に移り住んだ!?

これに従うと、『八幡、応神天皇、朝鮮、対馬、宇佐』が一直線に繋がる…

 

もしかしたら…応神天皇朝鮮半島からやって来た新王朝の創始者ではないか!?

住吉大神(海人?)によって殺された先代仲哀天皇の後を襲い、朝鮮半島から派遣された応神天皇から新たな王朝が始まった…?そう考えるのは、穿ち過ぎでしょうか?

 

対馬一宮 海神神社

アクセス

厳原港より車で90分

対馬空港より車で60分

 

参拝時間

24時間立ち入り自由(夜間注意)

 

定休日

年中無休

 

参拝料金

無料

 

駐車場

無料駐車場あり

 

アドレス

長崎県対馬市峰町字木坂

0920-83-0137

 

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