本日放送のNHK大河ドラマ『青天を衝け』ざっくりコラムです。
地元深谷の血洗島で藍玉生産に精を出していた若き日の渋沢栄一。
この頃の江戸では『尊皇攘夷』の嵐が吹き荒れていました。
過去、こちらのブログでも言及した通り『尊皇』思想は将軍よりも天皇を尊ぶという思想、『攘夷』とは夷狄をうち攘う(はらう)という外国人排斥思想。
2つは元々別物の思想です。それがいつの間にか尊皇=攘夷という謎の化学反応を起こして出来上がった思想です。
しかし、この『尊皇攘夷』は間違った思想であったことは歴史が証明しています。
『尊皇攘夷』のスローガンを掲げて諸外国との戦争を起こした薩摩(薩英戦争)や長州(下関戦争)は、その時に諸外国の科学技術の前に完膚なきまで叩きのめされようやく目が覚めるのです。
昭和の時代に若者が熱狂した『学生運動』にどこか通じるものがあると感じるのは、私だけでしょうか?
国を憂える若者たちによる、現実を知らぬ狂信的な運動。
そして目が覚めたらあっという間に消滅する流行病のような熱狂。
『尊皇攘夷はとても無理!開国して先進国の技術を習得しなければ未来はない!』
それまで尊皇攘夷の旗のもと狂信的な活動をしていた薩摩藩や長州藩が、180度態度を変えて成し遂げたのが明治維新です。
反面、尊皇攘夷の思想を貫きすぎた水戸藩や、幕府を支えることこそを藩是としていた会津藩は、時代についていけずに不幸を迎えることになるのです。
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