こんにちは。旅人サイファです。
本日は6月2日。
当時はもちろん旧暦の6月2日。
旧暦の2日ということは、新月の翌日。
ほとんど月の出ていない闇夜です。
丹波の亀山城(現在の京都府亀岡市)を真夜中に出発した明智光秀の軍勢およそ1.2万人。
丹波から京都への入口である『老ノ坂(おいのさか)』を下り京都へ入ったところで光秀は命令を下します。
『敵は本能寺にありっ!!』
こうして…日本史上でも屈指の劇的な1日が幕を開けたのです。
織田信長という存在は、強引に新しい時代を拓きました。
形だけの室町幕府。
権利を独占する寺社勢力。
私腹を肥やす旧世代の領主たち。
秩序のない戦乱の世の中で、最も苦しんでいたのは名も知られていない民衆たちでした。
作物は領主に年貢として持っていかれ。
商品を売買するには寺社勢力などへの上納金が必要。
街道を移動するには各勢力が好き勝手に築いた関所ごとで関銭を徴収され。
騙されても殺されても助けてもらえない。
にも関わらず戦が起これば徴兵され戦場の最前線に立たされる。
数ある大名の中で、織田信長だけが "こんな世の中ではいけない" ということに気が付いていた。
この戦乱の世をいち早く終わらせ、平穏な世の中にしてほしい…という民衆のニーズを汲み取っていた唯一の存在。
残念ながらその方法が苛烈でありすぎたために、残虐な面もクローズアップされてしまいますが…それほど強引に進めたからこそ、信長の革新が進んたとも言えます。
恐らく、後に天下統一の歩を進めた豊臣秀吉や徳川家康では…信長ほど非情に徹して旧体制を破壊することはできなかったでしょう。
しかし。
信長はやり過ぎた。急ぎすぎた。
彼のやり方についていけない人間のことを考えていなかった。
私は、明智光秀の謀反は "時代が差し向けた信長のストッパー" だと考えています。
恐らく、信長の革新があのまま進んでいたら…天皇家すら滅ぼしていたのではないでしょうか。
なにせ、信長の忌み嫌った "名ばかりの古い権威" の最たるものが天皇と公家なのですから。
そういう意味で明智光秀は、現在まで続く天皇家と日本という国のかたちを守ってくれた大恩人である…と、私は考えます。
謀反人である光秀は、これまで悪役・敵役として描かれるのが常でした。
しかし、日本の国のかたちを考えた時。
明智光秀が信長の暴走を止めてくれたことの意義を感じるのです。
古い中世を終わらせ、近世を作る。
この時代の流れのためには…
破壊する者 → 織田信長
ストッパー → 明智光秀
アレンジする者 → 豊臣秀吉
安定させる者 → 徳川家康
それぞれが無くてはならない存在であったと、強く思うのです。
誰かひとりでも欠けていたら…日本の歴史の歩みは変わったものになっていたことでしょう。
本日は6月2日。
438年前に本能寺の変が起こった日です。
まさに時代が動いた日。
私は、それぞれの役割を担った英雄たちに手を合わせ、思いを馳せる日にしようと思っています。