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【歴史コラム】「糸魚川ヒスイ物語」日本産ヒスイは1200年忘れられていた!

なぜ?古代日本の超重要物質「ヒスイ」は1200年もの間完全に忘れられていた!

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《古代日本で最も重要な鉱石だったヒスイ。しかし…仏教伝来と共にヒスイは完全に忘れられた存在になります。日本人がそのヒスイを思い出すのは…なんと1200年後のことでした!》

 

筆者紹介

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こちらは【歴史コラム】からの記事をお届けしています。

 

 

日本は緑色に輝く「ヒスイの国」だった!

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かつて古代日本で「金」以上に珍重された鉱石「ヒスイ」。現在でも日本のみならず中国大陸や南米などでも非常に人気のある鉱石です。

 

実はこの「ヒスイ」を加工する技術は、日本発祥だったって…ご存じでしたか?

 

え!?知らなかった!という人も多いのではないでしょうか?

 

そうなんです!日本におけるヒスイ加工の歴史はなんと7000年も前!実はこれ、世界最古の技術なんです!

 

事実、現存する最古のヒスイ大珠はなんと5000年前のもの。縄文時代のものです。そんな古くから、日本人はヒスイと付き合ってきたんですね

 

つまり「ヒスイ」を宝石として算出し加工する技術は日本からはじまっていた!古代日本は…ヒスイの国でもあったんです。

 

古代日本の超重要物質「ヒスイ」

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この「ヒスイ」は、日本国内政治においても非常に重要な物質でした。

 

なぜなら!天皇の象徴である三種の神器のひとつ「八尺瓊勾玉」も、本物はヒスイで作られているとされているんですから!

 

そんなヒスイの一大産地として知られるのが…新潟県糸魚川市。日本の東西を分けるフォッサマグナの町としても有名ですよね。

 

糸魚川産のヒスイ原石は、日本海を行き来する航路に沿って広く交易品として用いられました。その流通範囲はなんと北海道から沖縄まで!日本全土に渡って糸魚川産のヒスイが発掘されているんです。

 

当時のヒスイは超貴重な宝石。古くは金以上に珍重されていたほどで、当時のお宝を現す「玉」は、このヒスイそのものを指していたとも伝わっています。

 

なお古代日本国の交易品としてもヒスイは超重要物質でした。朝鮮半島や中国大陸でも日本産ヒスイは発掘されています。日本産ヒスイは東アジアの各国に輸出されるほどの特産品だったんですね。

 

突然日本史から姿を消した「ヒスイ」

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しかし。

 

縄文時代、弥生時代、古墳時代と、日本を代表する宝石であったヒスイは…突如その姿を消します。

 

奈良時代に仏教が伝わるとほぼ同時期に、急速に日本の歴史上から姿を消すのです!

 

それまで珍重していたヒスイはなぜか?この時期から使用を避けるようになり、その後は完全にとヒスイの姿は見られなくなるのです。

 

いったいなぜか?

 

その理由は現在でも定かではありません。仏教が伝わるとともに価値観が変化し、ヒスイよりも金を重視するようになったため…ともいわれています。

 

ともかく。それまで日本で産出する最高の宝石であったヒスイは、奈良時代以降全く使われなくなります。使用機会が減少する…ではなく、全くのゼロになるのです。ゼロですよゼロ!

 

こうして…ヒスイという物質は日本史の中で完全に忘れられます。奈良時代以降は、ヒスイには全く見向きもしなくなるのです。

 

それだけじゃありません。

 

なんと…日本人はあれだけ重宝していたヒスイが、我が国の国土から産出していたことすらも忘れ去るのです!

 

そう。日本人は完全にヒスイを忘れ去ってしまうんです。

 

そんな…一時的なものでしょ?だってあれだけ珍重してたんでしょ?

 

と思うじゃないですか。

 

しかし。

 

奈良時代に忘れられた日本産ヒスイのことを日本人が思い出すのはいつ頃だと思います?

 

それが…なんと昭和になってから!その間なんと1200年もの長き間!日本人はヒスイが産出されることすらも忘れていたのです!ビックリしません!?

 

存在も産地も忘れられた「ヒスイ」!1200年後の再発見!

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奈良時代(8世紀)に忘れられた日本産ヒスイが再発見されたのは…なんと昭和の時代。20世紀になってからです。

 

​かつて日本の遺跡から出土するヒスイの勾玉は、その希少性から「大陸からもたらされた輸入品」と推測されていました。

 

この定説に挑んだのは、一人の文士の直感でした。その人こそが糸魚川出身の歌人・相馬御風!早稲田大学の校歌や童謡「春よ来い」の作詞者としても知られる人物です。

 

彼は、古事記に登場する女神・奴奈川姫(ヌナカワヒメ)が緑に輝く宝石を身に纏っていたという伝承に触れ、「この糸魚川の地にはヒスイが眠っているはずだ!」と確信します。

 

この相馬御風の言説を真に受けて…動き出した人物がいました。

 

それが相馬御風の従兄弟である伊藤栄平!

 

御風の情熱に突き動かされた伊藤栄平は、姫川の支流小滝川の渓谷へと足を踏み入れ、ついに川底に沈む神秘的な緑の巨石を見つけ出したのです!

 

これが1938年…昭和13年のことでした。

 

​その石を東北大学へ持ち込み鑑定したところ…ビンゴ!まさに「ヒスイである」という結果が出されるのです!

 

この糸魚川で発見された原石が本物のヒスイだと鑑定された瞬間、日本の歴史は塗り替えられました。

 

それは単なる鉱物の発見ではなく、日本が世界最古のヒスイ文化の発祥地であったという誇りを取り戻した、感動的な再発見の物語だったのです。

 

これが…1200年ぶりの奇跡!まさに日本人が忘れ去っていた「ヒスイ」を思い出した瞬間!

 

ちなみにこの時鑑定に出されたヒスイ原石は、糸魚川市の「フォッサマグナミュージアム」で実物を見ることができます。

 

日本人が1200年もの間忘れ去っていた「ヒスイ」!現在は研究が進み、糸魚川市周辺で数多くのヒスイ原石が産出されています。

 

『糸魚川』は東西文化の境界線

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そんなヒスイ再発見物語の舞台となった新潟県糸魚川市。

 

実はこの土地は、ヒスイ以外にも非常に興味深い土地です。

 

最大のポイントが、東日本と西日本の境界線という点です。

 

実はここ糸魚川を境にして、様々なものが東日本と西日本の境目になっています。北アルプスの山塊が直接海へと落ち込む親不知という難所が、日本列島の東西文化を分ける最前線となったのでしょう。

 

・角餅か丸餅か

・おにぎりかおむすびか

・灯油ケースは赤か青か

・濃口醤油か薄口醤油か

・カレーは豚肉か牛肉か

・電力周波数は50Hzか60Hzか

 

これらのように…東西文化の分岐点が「糸魚川」にあることが多い。非常に興味深い町なのです。