『円通寺』は斗南藩主が暮らした藩庁跡!まさに斗南の本城!
《戊辰戦争で領地没収・御家断絶の厳罰に処された旧会津藩が復活を夢見た拠点が…ここ下北半島円通寺です》
筆者紹介
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こちらの記事は【下北半島ひとり旅】よりシリーズでお届けしております。
『円通寺』の歴史
青森県むつ市にある『円通寺』は、1522年に、当地の領主であった南部氏の援助によって建てられた曹洞宗の寺院です。本尊は釈迦牟尼仏。
この寺院は、恐山菩提寺の本坊としての役割も担っており、恐山が雪で閉ざされる冬季の仏務はこちらで執り行われるそうです。
この室町時代から続くこの『円通寺』は…明治時代のはじめに、とある役割を与えられることになります。
戊辰戦争で新政府軍と敵対し、朝敵とされた会津藩。彼らは、恭順の意思を示すもそれを受け入れて貰えずに、やむなく交戦状態に入ります。
圧倒的な戦力をもつ新政府軍には太刀打ちできず…およそ1ヶ月間にもおよぶ籠城戦の末に降伏します。
会津藩は、取り潰し。藩主の松平容保は江戸にて蟄居謹慎。藩士たちは武士としての地位を剥奪され謹慎。
彼らが赦されたのは、明治2年になってからです。藩主・松平容保の子である容大に家名再興が許され、下北半島の最北部に新たな領地を与えられます。
こうして、旧会津藩士たちが新たに作り上げたのが…「斗南藩」でした。
しかし…ここからが地獄でした。
表高(収入)は3万石とされていましたが、そこは稲作には適さない不毛の地。実高(実収入)はわずか7,800石だったといいます。
捕らえられていた藩士たちも会津藩再興のため!と、続々と斗南藩へと駆けつけます。その数は17,000名を超えたと言われています。しかし…冬場は極寒の地となる下北半島。そこへ、住む家も着る服もなく、食べるものすらも事欠いたといいますから…大変な苦労をされたことでしょう。
こうして最北の地・下北半島へやって来た松平容保親子と旧会津藩士たち。
この時…松平親子が入り、仮の藩庁となったのが、ここ『円通寺』なのです。
つまり…ここ『円通寺』は、旧会津藩が新たに作ろうとした「城」でもあったのです。
『円通寺』の見どころ
かつて斗南藩の藩庁として使われた寺院『円通寺』へ向かいました。現在はむつ市になっていますが、この辺りはかつて「田名部」と呼ばれる集落。町の真ん中を流れる田名部川の水運を使った交易で栄えていたとされています。
今回お邪魔した『円通寺』は、そんな田名部川のほとりに建っています。一見…外堀のようにも見えますよね。
川を回り込んで門前までやって来ました。入り口には冠木門を模したような石門が立っています。寺院の門で冠木門を用いる例はあまり見たことがありませんので…もしかしたら、かつて会津藩主(武士)たちが暮らしたことにちなんで作られたのかもしれませんね。
駐車場をぬけると、参道正面に体操立派な門が見えてきます。細かな装飾が掘られた1層目の上に、優美な唐破風をあしらった屋根が付けられています。かなりの規模の門ですよこれ。
奥に建つ本堂は、近年建て替えられたものでしょう。内部拝観はできないようでしたので…ここで手を合わせ、旧会津藩の人々の冥福を祈りました。
ここ『円通寺』には、明治2年に最後の会津藩主・松平容保と、その子で斗南藩主とされた松平容大(当時生後5ヶ月とか)ら、藩の中枢部が入りました。
藩士たちはこの場所から東方数㎞のところにある「斗南ヶ丘」に新たな拠点を作りはじめていましたから、ここには一時的な間借りのつもりだったのでしょう。
つまりここ『円通寺』は、一時的とはいえ「斗南藩」の本城でもあったのです。風雪と貧困に苦しむ旧会津藩士たちの心の拠り所だったでしょうね…!
境内の一画には「招魂之碑」が立てられています。この石碑は明治33年に立てられたもので、表の文字は松平容大の揮毫です。
東京の靖国神社には、幕末から太平洋戦争までの間に、国家に殉じ死んでいった者たちの魂が祀られています。
国家のため…ですからね。当然、会津戦争で死んでいった旧会津藩士たちもお祀りされているはず…なんですが!
実は、旧会津藩士たちをはじめ、戊辰戦争で新政府軍と交戦し死んでいった者たちは除外されているんです…!
これは、新政府軍と交戦した者たちは「天皇のために死んでいった魂」に含まれない…という考え方から。こういうところも「朝敵」の汚名って…現代の我々が思うよりも厳しいものですよね。
ちなみに、天皇家を守護する側で戦った蛤御門の変で戦士した者は、旧会津藩士でも靖国神社に祀られています。
傍らには、この石碑を建立したいわれが書かれています。
この「招魂之碑」は、靖国神社にも祀られなかった旧会津藩士たちの魂を慰撫するために…彼らが自ら建立した鎮魂の石碑なんです。
『円通寺』へのアクセス/駐車場
『円通寺』は、むつ市の中心街からほど近く、田名部神社から徒歩数分のところにある寺院です。
最寄駅はJR下北駅。そこからは路線バスまたはタクシーで10分ほどの距離です。
お車の場合は、下北半島縦貫道路を利用して野辺地から60分。むつ東通ICから10分ほどです。敷地内にある無料駐車場を利用可能です。
【下北半島ひとり旅】旅行記2日目。旧会津藩の名残を感じに『円通寺』を参拝しました。この後は下北半島の総鎮守とされる神社に向かいます。次回もお楽しみに!
『円通寺』の基本情報
アクセス
下北半島縦貫道路 むつ尻屋崎ICより10分
営業時間
24時間自由
定休日
年中無休
参拝料金
無料
駐車場
無料駐車場あり
アドレス
0175-22-1091