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【群馬】続日本百名城!『名胡桃城跡』は歴史が動いた現場!

『名胡桃城』は歴史の現場!ここは小田原北条氏滅亡のきっかけ!

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群馬県みなかみ町。ここには日本の歴史を大きく動かした小さな城跡があります。戦国時代を終わらせるきっかけとなったこの城は『名胡桃城』といいます。

 

筆者紹介

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・こちらの記事は【新潟群馬スキー&温泉旅行記】のシリーズからお届けしています。

 

 

『名胡桃城』の歴史

群馬県北部、沼田の北西部に伸びる三国街道(現・国道17号線)沿いに、『名胡桃城』という小さな城跡があります。

 

実はこの名胡桃城は…歴史を動かし、戦国時代を終わらせることになったターニングポイントなんです。

 

時は戦国時代末期。本能寺の変のあと、織田政権を継承した豊臣秀吉は、四国九州を制圧し天下統一まであと一歩のところまで迫っていました。この時点で秀吉の勢力下に入っていないのは、関東・東北のみ。

 

天正17年7月。

 

沼田を中心とする上野国北部の領有を巡って争っていた北条氏政真田昌幸のもとに、関白・豊臣秀吉から裁定が下ります。

 

  • 上野国沼田地域のうち、沼田城ほか大部分は北条領とする。
  • 名胡桃城周辺のみは真田の墳墓の地のため真田領とする。

 

こうして、北条氏はその勢力圏を上野国北部まで広げ、真田氏は自ら切り取った領地である沼田城ほかを失うことになったのです。その代わり…沼田城利根川を挟んで対岸にある「名胡桃城」周辺だけは真田領として残されました。

 

この裁定、北条氏にとっては勝訴ともいえる北条有利な裁定だったのですが…気になるのが「名胡桃城」です。利根川河岸段丘上に作られた砦程度の小さな城ですが、これが喉元に刺さった魚の小骨のように目障りな存在として残されたのです。

 

天正17年10月。

 

真田領として残されていた名胡桃城から突如火の手が上がります。

 

北条氏の重臣であり沼田城を任されていた猪俣邦憲が、城主不在で手薄になっていた名胡桃城を奇襲!一挙に名胡桃城を奪ってしまったのです。

 

面目を潰された格好になった秀吉は即座に北条征伐を決断。ここに、戦国時代の終わりを告げる小田原征伐の火蓋が落とされるのです!

 

この小田原征伐で北条を滅亡させ、その戦いの最中で東北の伊達政宗をも屈服させた豊臣秀吉はついに天下統一を果たします。その後は、彼の死後まで国内での大きな合戦は遂に起こりませんでした。つまり、小田原征伐は、豊臣秀吉の天下統一の最終仕上げ。戦国時代を終わらせた戦いでもあります。

 

その小田原征伐のきっかけこそが…ここ『名胡桃城』なんです!

 

この小さな城を舞台に起きた些細な事件が…群雄割拠の戦国の世から天下泰平へと歴史を動かすきっかけとなりました。まさに歴史を動かした現場なのです!

 

『名胡桃城』の見どころ

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『名胡桃城跡』最大の見どころは、その歴史の現場の重みにあります。

 

「続日本百名城」に名を連ねているとは言え、はっきり申し上げて…ここ名胡桃城は城というより砦程度の規模しかありません。

 

利根川の段丘上に作られた堅城ではありますが、規模も決して大きくはなく、特別な防御機構が見られる訳ではありません。

 

ここ名胡桃城を語る上で最も重要なのは、そのバックグラウンド!この小さな城の行く末が後の世の歴史を動かしたという…確固たる事実にあります。


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そんな『名胡桃城跡』の歴史を学べるのが、ここ名胡桃城址案内所です。


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こちらでは名胡桃城に関する資料がかなり細かく展示されていますので、まずはこちらへ立ち寄って理解を深めておくと良いでしょう。

 

また、こちらには無料のガイドを頼むことができるので、お時間ある方は絶対にガイドを頼みましょう!かなり詳しく名胡桃城とその歴史を教えてくださいます。


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今回お世話になったガイドのAさんは、地元ご出身の郷土史家さんでした。名胡桃事件の歴史背景、当時の周辺環境や城の防御機構など…詳しく解説してくださいました。


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この名胡桃城址案内所にあるパンフレットもガイドのAさんが作成されたものですが…これを見ると、当時の上州北部の勢力図が良く分かります。

黄色+白→元々の真田領

グレー→元々の北条領

天正17年に豊臣秀吉の裁定によって黄色部分が北条へ割譲され、名胡桃城周辺だけが真田領として残されているのが分かります。まるで北条領を牽制するため楔として打ち込まれたかのような位置にあるのが名胡桃城だったのです。


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名胡桃城は、利根川河岸段丘の上に築かれており、いくつかに分けられた郭は空堀を切って区切られています。

 

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本丸に当たる本郭には名胡桃城址の大きな石碑が立てられています。ここが城郭の主要部分ですが…面積は決して広くはありません。やはりどうみても砦程度の規模しかありません。

 

筆者は、この「規模の小ささ」こそが、北条からの侵略を招く誘い水だったのではないかと考えています。

 

北条にしてみれば、ここ名胡桃城は喉元に刺さった小骨のようなもの。目障りかつ邪魔で仕方ありません。

 

もしも、ここ名胡桃城が数万数千の兵力で守る巨大な城でしたら、北条も迂闊には手を出せなかったはずです。

 

これまで見てきたように、ここ名胡桃城は砦程度の小さな城。だったからこそ…北条は「この程度の小城ひとつ奪っても問題なかろう」と手を出してしまったのではないか。いやむしろ…北条が手を出しやすいように掲げられた「餌」だったのかもしれません。


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最奥部にあるささ郭からは、利根川とその対岸が一望できます。眼下に見えるのは全て北条領。本当に目と鼻の先ですね。350°ぐるり北条領に囲まれた名胡桃城は…もしかしたら相手に攻めさせるために存在した城だったのかもしれません。

 

『名胡桃城』へのアクセス/駐車場

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『名胡桃城』へは、お車でのアクセスが便利です。関越自動車道月夜野ICからおよそ10分。国道17号線を新潟方面に走らせると国道沿いに案内看板が出ています。名胡桃城址案内所の裏手には無料駐車場も完備されています。

 

公共交通機関ご利用の場合は上越新幹線上毛高原駅か、JR上越線後閑駅からタクシー利用になります。

 

 

 

『名胡桃城跡』の基本情報

アクセス

上越新幹線 上毛高原駅よりタクシー

JR上越線 後閑駅よりタクシー

関越自動車道 月夜野ICより10分

 

営業時間

24時間立ち入り自由

名胡桃城址案内所は9:00-16:00

 

定休日

年中無休

名胡桃城址案内所は木曜日休み

 

入場料金

無料

 

駐車場

無料駐車場あり

 

アドレス

群馬県みなかみ町下津3462-2

0278-62-0401