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【長野】日本100名城!『松代城』は真田10万石の居城!

松代城跡』は真田10万石の居城!川中島の戦いの現場!

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戦国時代の雰囲気残る真田の城『松代城』をご紹介します!ここは、かの川中島の戦いでも現場ともなった城なんです!

 

筆者紹介

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こちらの記事は【冬の信州温泉旅行記】よりお届けしております。

 

 

松代城』の歴史

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松代城』は、江戸時代には松代藩主・真田氏の居城でした。

 

江戸時代初期、真田氏の本城は同じ信濃国内の上田城でした。上田城のある小県郡は、真田氏の本貫の地。この領地替えには時の当主・真田信之は、激しく不快の意を示したと言われています。父から受け継いだ先祖代々の地を手放すことになりますから、その無念もさることだったことでしょう。

 

しかし、抵抗もむなしく元和八(1622)年、上田から松代に移された真田信之は、この『松代城』を領国支配の拠点として整備します。以降、明治維新まで、この城は真田氏10万石の居城として存続するのです。


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この『松代城』は、戦国時代に武田信玄によって築かれた海津城を前身としています。武田信玄上杉謙信が衝突した川中島の戦いにおいて、武田軍の前線基地となったのがまさにこの地でした。川中島の戦いで激戦となった八幡原は、ここから北方、千曲川を渡った先にあります。

 

武田軍は妻女山に籠る上杉軍を奇襲するため、ここ『松代城(当時海津城)』から全軍の半分近くを夜間密かに進軍させます。

 

しかし…相手も名将・上杉謙信。彼は、『松代城(海津城』から登る飯炊きの煙が普段よりも多いことに気付き、この奇襲作戦を見抜いたといいます。

 

武田軍奇襲部隊が妻女山へ到着した頃には、すでに陣はものけの空!上杉軍は陣を取り払って千曲川を渡り、八幡原に布陣していた武田軍の残り半分と正面激突していたのです!

 

この激戦で、武田軍は信玄の弟・武田信繁や軍師・山本勘助など、多くの戦死者を出す大苦戦!謙信の騎馬突撃を、信玄が軍配で受け止めたという逸話もこの時のものです。

 

当初は上杉軍有利で、あと一歩で信玄まで討ち取られる寸前まで猛攻を仕掛けるものの…妻女山攻撃軍が駆け付けたために、戦況は逆転します。結局、双方が軍を退く形で戦いは引き分けに終わったとされています。

 

ここ『松代城』は、戦国最大級の合戦、川中島の戦いの現場そのものでもあるのです!その後も、武田軍の前線基地として、重要な位置を占めました。

 

松代城跡』の見どころ

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松代城』は戦国時代の雰囲気の残る名城です。

 

江戸時代当時から、豪壮な天守閣などは築かれず、堀と石垣で固めた本丸部分には、櫓門や要所に作られた二重櫓で防備が固められていました。

 

真田信之が松代へ転封されたのは元和八(1622)年のこと。大坂の陣を終えて元和厭武の世が完成されてからのことです。彼は、これ以上は戦国の世ではないことを理解していたのでしょう。ガチガチに防御を固めた戦闘用の城ではなく、領内統治に長けた平城として整備したようです。


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松代城』の最大の見どころが、ここ本丸櫓門です。堀にかけられた太鼓橋と、二重望楼を持った櫓門が、当時の雰囲気をそのまま残しています。こちらは復元されたものですが、過度な派手さもなく、とても素晴らしい復元だと思います。


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本丸は総石垣で固められています。この石垣は当時のものが補修され、ほぼそのまま残されているようです。北西の一角には、一際高く石垣が積まれており、ここは天守台として作られたと言われています。(結局天守閣は作られず)


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天守台の石垣は、城内で最も高いところとなっています。ここからは、すぐ近くを流れる千曲川の土手と、その向こうに雪を被った北アルプスの峰々を遠望することができます!うーむ!美しい!


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こちらは本丸北側の櫓門です。門をくぐった先の通路が折れ曲がっていることで、攻める側の兵は一瞬足を止める構造になっています。こういう作りが、城の防御力を高めているんです。重厚感が出ていますよね!

 

松代城』には大阪城名古屋城に見られるような天守閣や、三重四重の櫓は存在しませんでした。そのため、やや地味に思われる方も多いのですが…さにあらず!

 

桝形や馬出しといった、細かな防御機構がいくつも張り巡らされていたため、見た目よりもかなり高い防御力を有する強固な城となっているのです!どちらかというと玄人好みの城郭になっていますので、ぜひ敵兵士になった気分で、この城を攻略してみてください!

 

松代城跡』へのアクセス/駐車場

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松代城跡』のある松代は、長野市街地の南方に位置しています。松代へは鉄道が走っていませんので、JR長野駅から路線バスでのアクセスがメインになります。

 

お車の場合は、上信越自動車道の松代SAから 直結の松代スマートICをご利用いただくと便利です。ICからはおよそ5分から10分程度で到着します。

 

松代城』の目の前には、大きな無料駐車場がありますので、そちらをご利用いただけばスムーズです。

 

まとめ

いかがでしたか!戦国時代の雰囲気残る名城『松代城』!戦国ファン、真田ファンなら一度は訪れるべき歴史スポットです。辺りは、非常によく整備され、真田宝物館や真田邸をはじめ、資料豊富な資料館なども集まっていますので、じっくり回れば1日中楽しむことができますよ!

 

戦国時代の雰囲気残る『松代城』は川中島の戦いでも登場する歴史の現場!素晴らしい城跡でした。筆者はこの後、真田藩主が暮らした邸宅「真田邸」と真田氏伝来の資料を展示する「真田宝物館」へと向かいました。次回もお楽しみに!

 

松代城跡』の基本情報

アクセス

JR北陸新幹線ほか 長野駅より路線バス

上信越自動車道 松代スマートICより5分

 

営業時間

9:00-17:00

 

定休日

年中無休

 

入場料金

無料

 

駐車場

無料駐車場あり

 

アドレス

長野県長野市松代町松代18-2

026-278-2801