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【愛媛県第2の都市はどこ?】~都道府県No.2物語~

愛媛県の第2都市はどこ!?
 

全国には47の都道府県が置かれています。その47の都道府県内には、行政の中枢として機能する県庁所在地が置かれていますよね。

 

そのうち、ほとんどの県では、県内で人口最多の都市に県庁が置かれています。

 

そんな県庁所在地や最大都市(人口最多都市)は比較的有名ですが、それらに次ぐ第2の都市は?と問われると戸惑う方も多いのではないでしょうか?そう!その県の「第2の都市」って意外と知られていないのです。

 

そんな、都道府県内の第2の都市に焦点をあてた連載がこの【都道府県No.2物語】!人口ランキングデータを基に、今回は『愛媛県』の第2都市を探っていきます!


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こんにちは!全国各地を旅行して、その土地土地のことを考えている旅人サイファです。毎週月曜日は毎回ひとつの県を取り上げた~都道府県No.2物語~をお送りしています。

 

 

愛媛県第2の都市はここ!

現在の愛媛県第2の都市は『今治市』となっています。今治市は、愛媛県の最北部にあたる高縄半島の突端に位置し、その先には日本一複雑とも言われる芸予諸島の島々が点在しています。

 

かつては、伊予国国府が置かれ、また中世には今治城が築かれ城下町としても発展しました。

 

近代では、港町としての機能のほか、造船業やタオル生産業といった工業都市としての顔を有しています。2000年代には芸予諸島の島々とも合併し、県内第2位へと躍り出ています。

 

愛媛県の歴史

愛媛県…なんとも優雅な響きのある県名ですよね。実はこの愛媛県という名称は、47都道府県で唯一、伝説の神様の名前から取られた名称なんです。

 

国産み神話には、イザナギイザナミによって産み落とされた「四国」のうち、「伊予は愛比売(えひめ)といい…」という記載があり、ここから県名が取られています。

 

現在の愛媛県の県域は、かつて律令国制で「伊予国」とされたエリアです。国府は現在の今治付近に置かれていたことからも分かるとおり、かつては瀬戸内交通の要として重要な土地でした。

 

また、松山市道後温泉は、日本最古級の温泉地として知られ、かつては神功皇后聖徳太子も入浴しに来たという伝説も残されています。

 

中世には、瀬戸内航路を掌握した、日本一の大海賊・村上一族が強い影響力を有し、国主や大名の方針を左右するほどの力を持ちます。

 

江戸時代になると、幕府親藩である松山藩を筆頭に、7-8の藩に分けられ長く統治されました。

 

明治維新後は、廃藩置県の最に旧松山藩を中心に松山県(→改名して石鉄県)、宇和島県(→改名して神山県)の2つの県にまとめられます。

 

明治6年に両者は合併し、この際、全国的にも稀な『愛媛県』という県名によって統一されます。

 

一時、現在の香川県部分も愛媛県に加えられた時期もありましたが、その香川県明治21年に独立してからは、現在に至る『愛媛県』の姿となっています。

 

愛媛県の県庁所在地

愛媛県の県庁所在地「松山市」に置かれています。松山市は、松山城の置かれた城下町と、道後温泉のある温泉町という2つの顔を持つ都市です。また、正岡子規らの出身地であり、夏目漱石ゆかりの地でもあるため、文学の町という側面も持っています。

 

元々は現在の道後温泉周辺が中心地で、国主大名河野氏湯築城(現在の道後公園)に居館を築きこの地の支配拠点としていました。

 

江戸時代に入り、道後温泉の南西に位置する勝山に、加藤嘉明によって新城が築かれ、この城を「松山城」と名付けたことから、松山という地名が生まれました。

 

愛媛県第2都市候補

四国中央市

四国四県のちょうど中央に位置しており、「四国の首都」にもなり得る場所に立地しているのが「四国中央市」です。伊予三島市川之江市などが合併し、2004年に誕生しています。現在の四国の県庁所在地全てに高速道路のみで100km圏内でアクセスできる交通の要衝です。

 

今治市

県最北部に突き出た高縄半島の突端に位置する「今治市」も有力候補です。造船業やタオル製造業が盛んな工業都市としても知られています。1999年に、目の前に散らばる芸予諸島の島々を結ぶ「しまなみ海道」が開通したのを契機に、周辺諸島の島々を合併し、2005年に新「今治市」として再スタートしています。

 

宇和島市

県南部・南予地方の中心地が「宇和島市」です。温暖な気候とリアス式海岸による豊かな漁場を持つ地域で、江戸時代には伊達政宗庶子伊達秀宗が城主となり幕末まで統治しました。

 

 

 

愛媛県内人口ランキング推移

 

1980年~2010年までの、愛媛県内の人口ランキング推移がこちらです。やはり愛媛県のみならず四国最大の都市でもある「松山市」は強いですね。2010年には四国唯一の50万人都市として君臨しています。

 

一方2位争いは激烈!2000年までは県東部の「新居浜市」が2位をキープ!3位に迫る「今治市」と激しいデッドヒートを繰り広げていましたが、2010年を期に逆転しています。

 

4位はかつては県南部の主要都市であった「宇和島市」でしたが、こちらも2010年に「西条市」にとって代わられています。

 

最新!愛媛県第2都市はここ!

それでは!2021年10月の人口ランキングから最新の愛媛県内人口データを見てみましょう! 

 

第1位 松山市 50.3万人(全国35位)

第2位 今治市 14.9万人(同182位)

第3位 新居浜市 11.4万人(同241位)

第4位 西条市 10.3万人(同274位)

第5位 四国中央市 8.1万人(同336位)

 

2010年データに引き続き、最新データでも2位の座をキープしたのは「今治市」でした!その成長の秘訣は、1999年に全線開通した「しまなみ海道」と、平成の大合併による離島郡の合併にあります。

 

今治市は、もともと造船やタオル生産などで栄えた工業都市ではありました。しかし、しまなみ海道の開通によって、四国を代表する玄関口のひとつになったことをきっかけとして大きく伸びた町でもあります。交通網の整備によって人の流れを変え、都市の発展を促した好例とも言えそうです。

 

と、言うことで…【愛媛県第2の都市は…今治市】でした!