NHK大河ドラマ『どうする家康』第6話コラム
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筆者紹介
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瀬名姫奪還作戦再び
妻子の奪還に失敗した本多正信と服部党。熟練の手練れを何人も失った彼らは、瀬名姫とその家族を直接奪還することを諦め、今川の重臣・鵜殿長照を捕らえ、人質交換するという策を練ります。
鵜殿長照の守る上ノ郷城は難攻不落の要害。家康は、この城を服部党ら伊賀者を放って落としたと言われています。
この時の攻撃で、鵜殿長照は戦死。その二人の息子である鵜殿氏長・氏次の兄弟は生け捕りにされてしまいます。
義元の死後、今川氏を継いでいた今川氏真は、重臣鵜殿氏の子らを見殺しにはできませんでした。こうして、彼らとの人質交換の結果、無事に家康の妻子は解放されるのです。
鵜殿長照の息子たちのその後
ちなみに、この時人質交換の対象となった鵜殿氏長・氏次兄弟は、やがて今川と共に滅ぶ…と思うじゃないですか。
しかし!実はそうではないのです。
鵜殿氏長は、今川の没落が決定的になったところで、今川氏を身限り、徳川陣営に走ります。彼はその後、家康に従って、姉川の戦いや長篠の戦いに従軍しています。さらに、76歳という高齢ながら、大坂の陣にまで参陣したと言われています。
弟の鵜殿氏次は、やがて家康の一族である、松平家忠の家臣として身を立てます。彼も、家康の配下として各地を転戦し、最後は主君・松平家忠と共に、関ヶ原の戦いの前哨戦で伏見城に籠り、壮絶な討ち死にを遂げたと言われています。
瀬名姫の母君は井伊の娘?
また、人質交換のおりに処刑されたと伝わる瀬名姫の母君・関口巴(真矢ミキ)は、今川義元の妹(養女?)とも伝わります。
彼女が、娘や孫の命と引き換えに身を提げたことで、瀬名姫や竹千代らは命を救われました。
ちなみに、この関口巴は、今川義元の妹説とともに、もうひとつの説が伝わっています。
それが、遠江の国人領主・井伊直平の娘という説。井伊氏が今川に従属した際に、娘を人質として今川氏に差し出し、その娘が今川の重臣であった関口親広(渡部篤郎)へ嫁したというのです。瀬名姫は、その関口親広と巴の娘です。
とすれば…家康の正妻である瀬名姫は、井伊家の血も引く娘ということになります。
やがて、徳川を支える超重要人物となる井伊直政は、瀬名姫とも血縁にあるということになります。(井伊直平→直宗→直盛→直親→直政)
このあたりの繋がりもまた、興味深いものですね。いずれ登場することになる井伊直政。もしかしたら、このあたりも描かれるかも知れません!
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