旅人サイファのお出かけブログ

R3.5.15 ブログランキングサイト国内旅行ジャンル第1位獲得!旅行プランナー旅人サイファが送る『旅行に行きたくなるブログ』です!ぜひお立ち寄りください♪

スクロールして項目をお選びください!

NHK大河ドラマ【どうする家康】第6話コラム 続・瀬名奪還作戦

NHK大河ドラマ『どうする家康』第6話コラム

f:id:traveler-cipher:20230108200917j:image

こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均35泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。

 

旅人サイファ実績

・スキルマーケット「ココナラ」にて旅行お出かけカテゴリ売上実績No.1

・グルメサイト「ニッポンごはん旅」公認ライター

・スマートニュース/Yahoo!ニュースほかメディア掲載実績多数

・「にほんブログ村」国内旅行カテゴリPVランキング1位を記録

こちらは毎週日曜日にお届けする【NHK大河ドラマ『どうする家康』コラム】の記事をお届けしています。


 

瀬名姫奪還作戦再び

 

妻子の奪還に失敗した本多正信と服部党。熟練の手練れを何人も失った彼らは、瀬名姫とその家族を直接奪還することを諦め、今川の重臣・鵜殿長照を捕らえ、人質交換するという策を練ります。

 

鵜殿長照の守る上ノ郷城は難攻不落の要害。家康は、この城を服部党ら伊賀者を放って落としたと言われています。

 

この時の攻撃で、鵜殿長照は戦死。その二人の息子である鵜殿氏長・氏次の兄弟は生け捕りにされてしまいます。

 

義元の死後、今川氏を継いでいた今川氏真は、重臣鵜殿氏の子らを見殺しにはできませんでした。こうして、彼らとの人質交換の結果、無事に家康の妻子は解放されるのです。

 

鵜殿長照の息子たちのその後

 

ちなみに、この時人質交換の対象となった鵜殿氏長・氏次兄弟は、やがて今川と共に滅ぶ…と思うじゃないですか。

 

しかし!実はそうではないのです。

 

鵜殿氏長は、今川の没落が決定的になったところで、今川氏を身限り、徳川陣営に走ります。彼はその後、家康に従って、姉川の戦い長篠の戦いに従軍しています。さらに、76歳という高齢ながら、大坂の陣にまで参陣したと言われています。

 

弟の鵜殿氏次は、やがて家康の一族である、松平家忠の家臣として身を立てます。彼も、家康の配下として各地を転戦し、最後は主君・松平家忠と共に、関ヶ原の戦いの前哨戦で伏見城に籠り、壮絶な討ち死にを遂げたと言われています。

 

瀬名姫の母君は井伊の娘?

 

また、人質交換のおりに処刑されたと伝わる瀬名姫の母君・関口巴(真矢ミキ)は、今川義元の妹(養女?)とも伝わります。

 

彼女が、娘や孫の命と引き換えに身を提げたことで、瀬名姫や竹千代らは命を救われました。

 

ちなみに、この関口巴は、今川義元の妹説とともに、もうひとつの説が伝わっています。

 

それが、遠江国人領主井伊直平の娘という説。井伊氏が今川に従属した際に、娘を人質として今川氏に差し出し、その娘が今川の重臣であった関口親広(渡部篤郎)へ嫁したというのです。瀬名姫は、その関口親広と巴の娘です。

 

とすれば…家康の正妻である瀬名姫は、井伊家の血も引く娘ということになります。

 

やがて、徳川を支える超重要人物となる井伊直政は、瀬名姫とも血縁にあるということになります。(井伊直平→直宗→直盛→直親→直政)

 

このあたりの繋がりもまた、興味深いものですね。いずれ登場することになる井伊直政。もしかしたら、このあたりも描かれるかも知れません!

 

前回です