NHK大河ドラマ『どうする家康』第5話コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。
筆者紹介
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清須同盟後の家康
織田信長との同盟が締結されて、家康の立場は鮮明となりました。すなわち、織田と結び、旧主今川と敵対するということ。三河に戻った家康の元には、かつて縁者だったものが続々と集まって来ました。
冒頭で登場した家康の弟妹たちは、家康の母である於大の方が、父・松平広忠の死後に再嫁した久松俊勝の子供たち。幼くてして父を失った家康にとっては、異父同母の数少ない弟ということになりますが…彼、松平俊勝の子供たちを家康は弟して重用することはありませんでした。
家康はあくまでも彼らを親族の一派として扱い、その子孫は各地方で親藩大名として存続します。久松松平系で最大の大名は、伊予松山藩15万石の大名として、明治維新まで存続します。
本多正信と服部半蔵
三河岡崎に戻った家康の元には、かつての旧臣たちが集まってきました。その代表が、後に家康第一の側近となる本多正信と、伊賀者(忍者)を束ねる服部半蔵でした。
本多正信は、本多平八郎忠勝らと同族ながら、彼らとは異なり武勇には優れず、専ら作戦面や計略で才を発揮した人物です。晩年は、家康の懐刀としてその天下取りを支えました。家康が江戸に移ってからは、関東総奉行に任命され政治家としての手腕も発揮しています。
服部半蔵は、忍びの棟梁と目され、家康をはじめ歴代将軍たちの護衛や隠密任務の役割を担った人物です。いわゆる忍者を束ねる任を帯びていましたが、半蔵自身は忍びではなく、あくまでも忍者一党を指揮する武士であり、若き頃は鬼の半蔵として第一線で働き功績も多数あったと言われています。
今回、彼ら二人に託されたのが、家康の正妻・瀬名姫とその長男・竹千代(のちの信康)と長女・亀姫(奥平家へ嫁ぐ)の奪還作戦でした。
しかし…この作戦はあえなく失敗。多くの服部党のメンバーを失い、瀬名姫らも死罪を言いつけられます。
しかし…本多正信と服部半蔵は次なる手を考えていました。それが、今川氏真の重臣・鵜殿長照と2人の子供たち。
彼らをターゲットにすることで、家康は無事に妻子を取り戻すことができるのです。
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